Jan 23, 2017

Lewis W. Hine

昨年末、京都 三条にある古書店 Books & Thingsに代済みで取り置いていた写真集を引き取りに行った。必ず好きなものが見つかるこのお店を訪れるのはとても楽しみな事(欲しいものだらけで恐怖とも言える)なのだが、今回は少しだけ緊張も混じっていた。というのも取り置いてもらっていたのがルイス・ハイン(Lewis H. Hine 1874-1940)の作品だったからだ。

今回の作品集はオリジナルのネガを元に印刷されている12枚のポートフォリオであり、書籍の形式では無いだけに作品としっかり対峙出来るという嬉しいもの。
Books & Thingsのブログによると、これを発行した
George Eastman Museum(旧 George Eastman House)が管理しているハインの作品はネガで3,804点、プリントで6,056点にも及ぶそうで、約1万点という膨大な数字は、ハインが「社会派」や「社会改革的」な写真家と形容され、取材や調査、記録する為の手段として多くの写真を撮影していた事をまさに物語っている。それにしてもポートフォリオを収めているこのフォルダー、そっけないスタンプと数字、そしてこの台紙の色という取り合わせがとても恰好良い。

ニューヨークで教師となったハインは学校教育の一環で初めてカメラを手にし、当初はアメリカに押し寄せる移民たちをエリス島で撮影していたが、そのうちに児童福祉連盟などの依頼でスラムで暮らす移民や貧困層の暮らしを撮影するようになる。1908年に全米児童労働委員会(National Child Labor Committee)からの依頼で専属カメラマンとなり、低賃金で働かされる子どもたちとその過酷で悲惨な状況を世間に知らせる為に教師を辞してアメリカ中を旅しながら写真を撮る生活を選ぶ。しかしハインが被写体とする子どもたちの姿や劣悪な労働環境の撮影を炭坑や紡績工場などの経営者たちが快く思うはずもなく、身分や目的を偽って潜り込んだり、時には暴力や危険な目にもあったらしい。撮る方も命がけだったのだろう。
Young Messenger Boy on bicycle.c.1913.

Bowling Alley Pin Boys. 1 a.m. (1910)

このボウリング場で働く少年たちの写真には説明文があり、地下のボウリング場で毎晩働いている3人の少年たちは、ボスによって撮影現場から締め出されていた。といった内容になっている。撮影用にポーズをとっていないのでもしかすると隠し撮りのような手法で撮影されたものなのかもしれない。
ハインが撮影した数多くの働く子どもたちの写真は結果アメリカ社会に大きな衝撃を与え、児童労働禁止へと世論を動かすきっかけとなる。(過酷な労働をする子どもたちを捉えたハインの作品については、あすなろ書房から発刊されている『ちいさな労働者(KIDS AT WORK)ー写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち』に詳しく書かれています。)

全米児童労働委員会の専属カメラマンを約10年続けた後、ハインはアメリカの産業を支える男性や女性労働者のポジティブな姿をカメラに収めるようになり、1930年には当時世界一高い建物となるエンパイヤ・ステート・ビルの建設現場での撮影を始め、それらの作品は代表作「Men at Work」として刊行される。
Boiler Maker. n.d.

キャリア後半の作品はこういった大きな機械と人間との構図や地上数百メートルの高さの建設現場の梁でずらりと並んで休憩する労働者の姿など明るく力強いものが多く、技術革新と人間の能力に驚きと尊敬の念を抱きながら撮影している様子が伝わってくる。

ハイン作品に映る人々はまるで肖像画のようにこちらを見ているものが多く、特に子どもたちの真っ直ぐなその目は見るものに何かを問いかけているようで緊張を要する。
Undernourished boy in rural school in mountains of Kentucky receiving milk supplied by Red Cross. Also, Victim of Drought 1933.

Naval Reserve Training Station, Pelham Bay Park, New York. 1917.

なのでハインの作品を前にするといつも背筋がぐっと伸びる。悪い気はしないけれど。

Jan 9, 2017

¿Quién es él?

昨年末のこと、いつもの如くスルスルと吸い込まれ入店した古書店でこれを見つけてしまった。

フランスのワインメーカーNICOLASのカタログ、1953年のもの。
NICOLASのワインカタログは"A"のブログにもたびたび登場し、すっかり影響を受けて以来、運と縁に任せて集めている
今回は古書店に入るや否や鮮やかな色が視界の隅に入ったのでそちらに目をやると、サイズ感や綴じ方で遠目でもNICOLASのそれだと分かる。が、見つけたカタログは黒を背景に金色に輝く不思議な横顔が表紙を飾っている、一体これは誰だろう。

早速店主に中を見せてもらうと目の前に美しいイラストが現れ、謎の横顔についてはあっさりと解決する
剣と盾orサーブルらしきものが描かれた見開きに"DON QUICHOTTE"の文字。ということは表紙を飾っていたのは物語「ドン・キホーテ」の主人公、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャその人だった。
詳しく頁を見てみると
"ILLUSTRATION DE LÉON GISCHIA" 
 "ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と印字されている。
まずイラストを担当したLéon Gischia(レオン・ジシア)について調べてみるも、フランスの画家でレジェに師事し1937年のパリ万博で壁画を製作、舞台美術家でもあったというぐらいしか分からない。堪らずここで"A"にヘルプを要請してフランスでの情報を調べてもらう。以下"A"がサクサクと調べてくれた情報のまとめ

Léon Gischia(1903-1991)は芸術学と考古学を学び、超名門のルイ・ルグラン高校に入るほどの頭脳の持ち主で兵役(なんと航空部隊!)を経験した後、アメリカに滞在しヘミングウェイやカルダーと親交を持つ。その後フランスに戻り、レジェと近しくなり共にパリ万博でコルビュジェ設計のパビリオンのデコレーションを担当。Salon de Maiの創始メンバーで演劇界でも仕事を残した。画風は大きく3時代に分かれ、1917年から1942年までは風景・静物・肖像を多く描き、デッサンも多数。マティスやフォーヴ派の影響が見られる。1942年から46年まではレジェやピカソらキュビスムの影響が見られ、この頃には画風がかなり単純化されグラフィカルになる。1960年から亡くなるまではさらに抽象的な画風になり、矩形や円の構成になった。

航空部隊を志願出来る程の秀才であり、絵画の才能も持ち合わせていたジシアが不器用なドン・キホーテを描いたこのカタログは1953年に発刊されたもの。"A"の情報から推察すると、ジシアの画風がキュビズムから影響を受け更には抽象画へと変化を遂げる過程の作品という事になる。

では気になる頁を進めて参りましょう。
物語の冒頭、騎士道物語を読み耽るドン・キホーテ。マティスの切り絵を彷彿とさせる。

城主と思い込んだ宿屋の主人に叙任式をしてもらっているシーン。"VENTA"(La venta)はスペイン語で宿の意味らしい。

前編のハイライト、風車に向かうシーン。左頁の余白の使い方も良い。


ライオンの檻に向かうシーンは見開きで。


物語の最後、城に戻るシーンにはトボトボ感が溢れている。奥にはサンチョ・パンサらしき人物も。
右頁の1枚の葉は前の持ち主が栞代わりにでも使っていたのだろう、古いオブジェのように堂々とした佇まいでそこに在ったので勿論このままにしておくことにする。

それにしても今回のこのカタログは細部にまで細かくデザインが配されているのも素晴らしいところ。

見返し部分のデザインと裏表紙も見逃せない。




恐らくこういった全体の意匠を担当したのが"ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と記されたAlfred Latour(1888-1964)ということなのだろう。Wikipediaで調べてみると確かに1934年からNICOLASとコラボレーションを開始したと記載されている。そこで気になるのが"ORNEMENT"という言葉、再び"A"に質問すると日本語の「オーナメント」でイメージする通り「装飾や飾り」という意味だそうで、レイアウトとアート・ディレクションを担当したグラフィックデザイナーの当時の呼称だろうとの事。恐らくまだデザイナーという単語が浸透していない時期のものであり、呼称の変遷まで知る事が出来て得した気分になる。

実は謎の横顔に気を取られて最初は気づかなかったのだが、表紙の下の方にはこんな一文が小さく印字されている。
SOUS LE SIGNE DU "CHEVALIER A LA TRISTE FIGURE"
『「哀しき表情の騎士」の看板の下に』とでも訳せば良いのだろうか・・・(自力翻訳につき自信は無い)。
いずれにせよ、初めて見た時と今ではその横顔は全く異なって見えるのです。

Jan 1, 2017

長樂萬年


明けましておめでとうございます。


本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


鯛持大黒天の土人形
鯛抱や鯛乗り、鯛担ぎなどなど鯛といえばえびすや童子のものが多い中、これは珍しく大黒天。

この1年も楽しくて佳きものを見つけていきたいと思います。

2017年 元旦