Apr 30, 2017

Blowin' in the Wind

柳宗理はかつて雑誌『民藝』の「新しい工藝(その後、生きている工藝に変更)」で取り上げた化学実験用蒸発皿について
「ただ実験用に、より使い易くということで、長い間に自然と浄化されて出来上がってしまったと言えましょう。これをアノニマス・デザイン(自然に生まれた無意識の美)と言うのです。(中略)民藝の言う不二の美、絶対の美とは、正にこのような美を指すのではないでしょうか?」と述べている。⁽¹⁾


この連載はケメックスのコーヒーメーカーからジーンズ、はたまたボラード(繫船柱)まで柳宗理が選んだ美しい機械製品について語られているもので、機械工藝と手工藝という、そもそも不要な区別自体を拒否し、良いデザイン、美しいものに対する氏の思いが宣言のように綴られている。それは同時に民藝の未来に対する憂いの表れのようでもあり、機械工藝を否定しがちな『民藝』読者(論者)に対して時には鋭く、時には説き伏せるように新しい視点を執拗なまでに提示し続けていている。

目的に向かって純粋に形作られたもの、で思い出すのがこの鉄の楔で、最初見た時はなんと格好の良い「何か」だと思った。手に取るとその形状から楔というのは想像できたものの、相手が石なのか木なのか分からなかったので調べてみると「木割矢/金矢」という言葉にすぐ辿り着いた。素材等で多少の変化はあれども薪割り用として現在もほぼ同じ形状のものが使われている事からも、これも一つのアノニマス・デザインなのだと思う。

矢羽模様のような溝は本来滑り止めであるのに意図せずデザインのアクセントになっているところも興味深い。

鉄でもう一つ。

茨城の製糸工場のものらしいと売主の方が言っていたので、調べてみると古河で製糸産業が盛んだったらしいので、その辺りのものかもしれない。よく見るとそれぞれに重さを示す数字や印があって、結ばれたままの色糸と錆びた鉄の対比も美しい。錘には鉄以外にも陶製のもの等、用途によって様々な材質があり、また国によっても姿を変えるのでついつい集めてしまうものの一つとなっている。

柳宗理はこの連載でインク壺の容器を取り上げた際には次のようにも語っている。
「さてこの木製の容器は轆轤という機械で造ったものですが、木肌の故か、手工藝的な暖かさを持っております。河井寛次郎さんは機械は手の延長したものであるとよく言われましたが、なるほど、人間が造るものを、手工藝と機械工藝とに分けるのは、素直でないような気がしないでもありません。いずれにせよ、手工藝的製品であれ、機械的工藝品であれ、良いものは良いのであって、その良いという絶対的な美の世界には、手工藝的とか機械工藝的とかいう区別された二元の世界は、自ずと解消されてしまうと言えないでしょうか。」⁽²⁾


この連載は第49回のショルダーバッグで終了するが、読み返す度に情報や知識で凝り固まりそうな頭の窓を全開にして風を運び入れてくれる。余計なフィルターをかけず、良いものは良いというシンプルで一番大切なこの感覚をいつも最前列に置いていたい。

(⁽¹⁾⁽²⁾ 出典:柳宗理 エッセイ(株)平凡社)