Dec 3, 2022

Until next time !

 大阪 丼池繊維会館でのachikochiz POP-UP STORE vol.6 無事に終了しました!

予想をはるかに上回る多くの方々にお越しいただき、楽しすぎる2日間でした。

AとCそれぞれが集めるものも少しずつ変化しており、次はどんなものにアンテナが引っかかり、どんなものが集まるのか我々も予想がつきません。

来年 vol.7の開催を目指して、再びコツコツと集めていきたいと思います!

皆様、ありがとうございました。






Nov 21, 2022

POP-UP STORE 2022

3年ぶりとなるachikochizのPOP-UP STOREを開催致します。

今回は大阪 本町の丼池繊維会館2Fにて、11月26日(土)& 27日(日)2日間の開催です。








お馴染みの古い器やオブジェ類の他に今回はウエアを沢山用意しております。

イベントに関する続報はインスタグラムアカウント @paris_saisai@4000000mt をチェックしてみてください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。



Aug 11, 2022

Charade

先日ある人の膨大な切手コレクションを拝見する機会があった。幾重にも積み上げられたアルバムを眺めながら、そういえば自分もかつて熱心に集めていたのを思い出した。

熱心にと言っても小学生だった当時の自分に切手収集の奥深さを理解できるはずもなく、結局のところ「お気に入りの切手アルバムを恭しく開き」「切手をカテゴリーに分け」「先端が四角の切手専用のピンセットを使い」「指紋をつけないよう用心深くそーっと挟み込む」という一連の動作に情熱の殆どを傾けていたような気がする。

お小遣いから捻出したり、周りの大人に買ってもらったりして作り上げた渾身のアルバムは、結局2冊ぐらい完成したところで情熱も次第に薄れてしまい、いつの間にかアルバム自体も行方不明になってしまった。あの頃集めた切手はもうすっかり手元にないけれど、「集めたものを眺めてご機嫌になる」という今も続く収集癖の出発点は確かに切手だったと思う。

そういえばもう一つ、同じ様な時期に短期集中型で切手以上に熱心に集めていたものがあった。
小学生の頃、学校給食というのはパンであろうが白ご飯であろうが飲み物は牛乳だった。どんなメニューにも牛乳を合わせるのも驚きだが、当時の小学生たちが牛乳に付いている紙製のキャップをこぞって集めていたのはもっと驚きだ。
今思うとどうしてあんなものを・・・という戸惑いしかないが、その当時はレアな牛乳キャップを巡って多くの小学生が狂喜乱舞していたのだ。
例えば給食に出てくるような種類の牛乳キャップは流通数も多いので見向きもされず、フルーツ牛乳やコーヒー牛乳がレアものという位置付けで、ヨーグルトや地方にしか無い珍しいタイプを持っていようものならば皆から羨望の眼差しを向けられるのだった。レアなものや人気のあるものはその他のキャップ複数枚と交換されるので、おかげで対価や価値を学ぶことができたし、近所の牛乳屋さんに不要なフタを譲ってもらうという交渉術も身に付けられた。

「牛乳キャップ」で検索してみると、今もコレクションの対象になっているようで、懐かしいデザインを容易に見つける事が出来る。それにしても直径わずか3〜5cmの円形にメーカー名や種類、マークまで描かれていて、切手同様奥が深くて面白い。

さて今回私の手元にあるのは紙ではなく陶製のキャップ(蓋)である。


どれも英国のもので、TOOTH PASTE、TOOTH POWDER(歯磨き粉)、とAnchovy Paste(アンチョビペースト)だ。



蓋だけを集めてどうするか?という問いに答えは無い。
あるのはこれらを眺めてアンチョビペーストについて調べたり、歯磨き粉について思いを馳せる楽しい時間だ。
それにしても遠い異国でも「蓋だけ」を集める人がいるというのはなんだか心強い。
切手収集は今や世界共通だが、そう考えると紙製の牛乳キャップも同じように集めている人が世界にいるかもしれない。

切手が登場する映画といえば『Charade』(シャレード)だ。
オードリー・ヘプバーンの衣装の多くがジバンシイである事は有名だがこの作品も同様で(劇中に使われていたトランク類は確かヴィトンだったと思う)、特に最初のシーンで雪山をバックに登場する際の横顔のショットは強烈に印象に残っている。

映画のクライマックスで切手を鑑定した老紳士が「少しでも所有できたことが幸せだ」という趣旨の台詞を言う場面があるが、古いものを集めていると自分よりも長くこの世に存在する物に対して、あくまでも私自身は一時的な所有者にすぎないと痛感させられる。

切手もキャップも次の所有者に渡るまでわずかな時間しかいないから、今を存分に楽しみたい。

Feb 13, 2022

Mesquita

最近手に入れた器を思い浮かべるとモノトーン2色の配色がやたら多い、という事に気が付いた。

ELIZABETH RAEBURNのカップ、吉田直嗣のカップと豆皿、そして掛谷康樹の皿も。







これまでも白や黒の配色を選ぶ事はあったが、今回は何かが違うと感じている。

たまたま集まったのでは無く、どこか意志を持って集まった気が・・・と言うと少し大袈裟かもしれないなあと首を捻っていたら、棚にあるメスキータの図録が眼に入って合点がいった。

きっと頭の片隅にメスキータの作品が残像となって残っているせいだ。


メスキータ展は2019年から20年にかけて開催された日本で初めての回顧展で、ここ数年で足を運んだ展覧会の中でも強烈に印象に残っているものの一つだ。

そもそもサミュエル・イェスルン・デ・メスキータという名前も知らず、ポスターにあった不気味な男の顔とエッシャーの名前に興味を持っただけの軽い動機だっただけに、初めて作品の前に立った時の衝撃は今でも忘れられない。


うつむく女 1913



メスキータの作品は木版画、エッチング、水彩画、雑誌の表紙等の多岐に渡り、モチーフも人物や植物、動物と様々だ。

特に代名詞とも言える木版画においてはその白と黒のコントラストによってどれも迫力があり、迫力がありすぎて不気味とさえ思っていたポスターの男が実は彼の息子ヤープだったのを知った時には驚きと同時に何故あんなに怖い顔にわざわざ・・・とメスキータに語りかけてしまった。



マントを着たヤープ 1913


「ウェンディンゲン」表紙


二頭の牛 1916


ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像 1922


足を運ぶきっかけをくれたエッシャーはメスキータが教鞭をとっていた美術学校の生徒であり、またメスキータ一家がアウシュビッツに連れ去られた後、彼の作品をアトリエから救い出した一人でもある。(メスキータ夫妻と息子のヤープはその後強制収容所で死亡している)


何の予備知識も無く見に行ったので、館内を歩み進めてようやく「エッシャーが命懸けで守った男」というポスターの謳い文句の意味を理解した。そして100年以上前に制作されたメスキータの作品を遠い日本の地でこうやって目の前で鑑賞できることが当たり前ではないことを、更にはこのコロナ渦においてよくぞ中止にならなかったと色んな方面に感謝しながら余韻と図録を抱えて美術館を後にした。


表紙に寒冷紗が使用されている今回の図録には1946年にアムステルダム市立美術館で戦後初めて開催された「メスキータ作品展」の図録に掲載されたエッシャーの文章も翻訳転載されている。

その文章でエッシャーは「メスキータは常に我が道を行き、頑固で率直だった」と語り、また「他の人々からの影響はあまり受けなかったが、自分では強い影響を学生たちに与えていた。」と評している。またメスキータの人柄が伝わるようなエピソードとして「シマウマは生きている木版画だ(元々鮮やかに黒と白に色分けされている)。そのシマウマをもう一度木版にすることは、自制しなくちゃいけない。」とエッシャーたち生徒に言っておきながら、後にメスキータがシマウマを制作していたことを知って驚いた、というオチのあるエピソードも微笑ましく(確かに回顧展にもシマウマも牛の作品もあった)、そのエッシャー自身が戦争の混乱の中において彼の作品を救い出したというのは、単に教師と教え子ではなくひとりの芸術家同士としての信頼関係がそこにはあったのだろうと感じている。


更にこの図録の序盤には個人としては最大のメスキータ収集家のマリア・ヴォルタース=ヘーインク氏とクリスティアン・オルトヴィン・ヴォルタース氏の文章が1枚のポスターと共に掲載されている。そのポスターとは1980年にアムステルダムで開催されたメスキータ展のものなのだが、ポスターにはハンカチで鼻と口を押さえる人の顔とオランダ語で『NIEST NOOIT ZONDER ZAKDOEK』(ハンカチなしでくしゃみをするな)という言葉が記された作品が中央に配されている。

2019年6月の回顧展スタートに向けて図録を製作していた時点ではまだcovid-19なんて言葉すら存在しなかったはずで、何とも不思議で複雑な気分になる。