achikochizのPOP-UP STORE vol.7を開催致します!
今回も昨年同様、大阪 本町の丼池繊維会館2Fにて、11月18日(土)& 19日(日)2日間の開催です。
(両日共に営業時間は12~18時までとなります)
器、オブジェ、ウエア、etc. 新旧取り混ぜた様々なものを集めました。
イベントに関する続報はAとCそれぞれのインスタグラムアカウント @paris_saisai と@4000000mt をチェックしてみてください。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。
今回も昨年同様、大阪 本町の丼池繊維会館2Fにて、11月18日(土)& 19日(日)2日間の開催です。
(両日共に営業時間は12~18時までとなります)
器、オブジェ、ウエア、etc. 新旧取り混ぜた様々なものを集めました。
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皆様のお越しを心よりお待ちしております。
大阪 丼池繊維会館でのachikochiz POP-UP STORE vol.6 無事に終了しました!
予想をはるかに上回る多くの方々にお越しいただき、楽しすぎる2日間でした。
AとCそれぞれが集めるものも少しずつ変化しており、次はどんなものにアンテナが引っかかり、どんなものが集まるのか我々も予想がつきません。
来年 vol.7の開催を目指して、再びコツコツと集めていきたいと思います!
皆様、ありがとうございました。
3年ぶりとなるachikochizのPOP-UP STOREを開催致します。
今回は大阪 本町の丼池繊維会館2Fにて、11月26日(土)& 27日(日)2日間の開催です。
お馴染みの古い器やオブジェ類の他に今回はウエアを沢山用意しております。
イベントに関する続報はインスタグラムアカウント @paris_saisai と@4000000mt をチェックしてみてください。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。
最近手に入れた器を思い浮かべるとモノトーン2色の配色がやたら多い、という事に気が付いた。
ELIZABETH RAEBURNのカップ、吉田直嗣のカップと豆皿、そして掛谷康樹の皿も。
これまでも白や黒の配色を選ぶ事はあったが、今回は何かが違うと感じている。
たまたま集まったのでは無く、どこか意志を持って集まった気が・・・と言うと少し大袈裟かもしれないなあと首を捻っていたら、棚にあるメスキータの図録が眼に入って合点がいった。
きっと頭の片隅にメスキータの作品が残像となって残っているせいだ。
メスキータ展は2019年から20年にかけて開催された日本で初めての回顧展で、ここ数年で足を運んだ展覧会の中でも強烈に印象に残っているものの一つだ。
そもそもサミュエル・イェスルン・デ・メスキータという名前も知らず、ポスターにあった不気味な男の顔とエッシャーの名前に興味を持っただけの軽い動機だっただけに、初めて作品の前に立った時の衝撃は今でも忘れられない。
メスキータの作品は木版画、エッチング、水彩画、雑誌の表紙等の多岐に渡り、モチーフも人物や植物、動物と様々だ。
特に代名詞とも言える木版画においてはその白と黒のコントラストによってどれも迫力があり、迫力がありすぎて不気味とさえ思っていたポスターの男が実は彼の息子ヤープだったのを知った時には驚きと同時に何故あんなに怖い顔にわざわざ・・・とメスキータに語りかけてしまった。
マントを着たヤープ 1913
「ウェンディンゲン」表紙
二頭の牛 1916
足を運ぶきっかけをくれたエッシャーはメスキータが教鞭をとっていた美術学校の生徒であり、またメスキータ一家がアウシュビッツに連れ去られた後、彼の作品をアトリエから救い出した一人でもある。(メスキータ夫妻と息子のヤープはその後強制収容所で死亡している)
何の予備知識も無く見に行ったので、館内を歩み進めてようやく「エッシャーが命懸けで守った男」というポスターの謳い文句の意味を理解した。そして100年以上前に制作されたメスキータの作品を遠い日本の地でこうやって目の前で鑑賞できることが当たり前ではないことを、更にはこのコロナ渦においてよくぞ中止にならなかったと色んな方面に感謝しながら余韻と図録を抱えて美術館を後にした。
表紙に寒冷紗が使用されている今回の図録には1946年にアムステルダム市立美術館で戦後初めて開催された「メスキータ作品展」の図録に掲載されたエッシャーの文章も翻訳転載されている。
その文章でエッシャーは「メスキータは常に我が道を行き、頑固で率直だった」と語り、また「他の人々からの影響はあまり受けなかったが、自分では強い影響を学生たちに与えていた。」と評している。またメスキータの人柄が伝わるようなエピソードとして「シマウマは生きている木版画だ(元々鮮やかに黒と白に色分けされている)。そのシマウマをもう一度木版にすることは、自制しなくちゃいけない。」とエッシャーたち生徒に言っておきながら、後にメスキータがシマウマを制作していたことを知って驚いた、というオチのあるエピソードも微笑ましく(確かに回顧展にもシマウマも牛の作品もあった)、そのエッシャー自身が戦争の混乱の中において彼の作品を救い出したというのは、単に教師と教え子ではなくひとりの芸術家同士としての信頼関係がそこにはあったのだろうと感じている。
更にこの図録の序盤には個人としては最大のメスキータ収集家のマリア・ヴォルタース=ヘーインク氏とクリスティアン・オルトヴィン・ヴォルタース氏の文章が1枚のポスターと共に掲載されている。そのポスターとは1980年にアムステルダムで開催されたメスキータ展のものなのだが、ポスターにはハンカチで鼻と口を押さえる人の顔とオランダ語で『NIEST NOOIT ZONDER ZAKDOEK』(ハンカチなしでくしゃみをするな)という言葉が記された作品が中央に配されている。
2019年6月の回顧展スタートに向けて図録を製作していた時点ではまだcovid-19なんて言葉すら存在しなかったはずで、何とも不思議で複雑な気分になる。
同じ映画やドラマを何度も観てしまうタイプだ。
これにはストーリーが好きで何度も見返す時と、視覚的に気になる部分(景色や衣装、小道具etc.)があって見返す時の2パターンがある。
『素晴らしき哉、人生!』は前者だし、名探偵ポワロのドラマシリーズは前者でもあり後者でもある。
『ミス・シェパードをお手本に』(原題 The lady in the van)はどちらかというと後者だ。
今作は英国人作家アラン・ベネットの実体験に基づく戯曲の映画化で、2つの名誉爵位を持つマギー・スミスがホームレス役というのが話題となったおかしみと哀しみを抱えた良作なのだが、ストーリーと同時に主人公アランの着こなしと彼が使うマグカップが気になってその後何度か見返している。
まずアランの着こなしだが、それは(ほぼ)一貫してボタンダウンのシャツにタイ、そこにハイゲージのVネックニットorベストの組み合わせで、外出時にはジャケットやコート(靴はスエードのオックスフォードがメイン)がプラスされる。しかもボトムスも含めたアイテムの殆どが無地で、その頑なまでに崩さないスタイルから彼の神経質な性格も感じ取ることができる。
中でも色合わせは注目に値するもので(個人的に)、今回改めて見直したのでその幾つかを列挙したい。
ある日の組み合わせはサックスブルーのボタンダウンにモスグリーンのウールタイとネイビーのニットベストだが、同じ色目のシャツにネイビーのウールタイとえんじ色のニットベストもある。マスタードイエローのコーデュロイジャケットを着た日は少し濃いブルーのボタンダウンにえんじ色のウールタイとネイビーのニットベストを合わせてるし、淡いピンクのシャツにネイビーのウールタイとえんじ色のニットベストという日もある。
室内でタイを外している時は第一ボタンを開けて襟のボタンも外しニットカーディガンと合わせ、キャメルのダッフルコートにキャンバスのリュックを合わせた外出時は淡いピンクのシャツにネイビーのクルーニットでネクタイはせず、コットンパンツの裾をラインソックスにインして白のスニーカー、とTPOに応じて細かく変化をつけている。
中でも特に好きなのはフランネルっぽい厚手の緑のシャツに青のタイ、ネイビーのニットベストの組み合わせで(これにはチノっぽいカーキのコットンパンツを合わせている)、全編に渡ってそのセンスの良い色合わせのおかげで限られたアイテムなのにとても表情は豊かで、スタイリングの楽しさを存分に味わえる。
終盤本人役でカメオ出演したアラン・ベネットも鮮やかなオレンジ色のマフラーをしていて、本人のファッションが強く反映されていることが窺える。
次にアランが愛用する青と白のボーダーのマグカップだ。
見返すとそのボーダーはマグカップだけに限らず、ミルクジャグやプレート、ボウル、塩胡椒入れのような物も確認できる(キッチン棚のシーンは思わず一時停止して凝視した)。気になって調べてみると英国の老舗メーカーT.G.GREEN社の現在も製造されているコーニッシュウエアシリーズのものだった。そのボーダーは白地に青が色付けされたものではなく、白の上に重ねた青色を削り落として下の白地を出しているので、表面にはボーダーの柄に沿って凹凸がある為、手触りも独特だ。
年代によって細部のデザインが変わるのだが、個人的に今集めているものは1930~60年代に製造されたもので、ハンドル部分が現行よりも華奢なデザインになっていてポップなボーダーとのアンバランスさが面白い。
英国、ボーダー、色合わせでもう一人思い出すといえばデイヴィッド・ホックニーだろう。
アラン・べネットとデイヴィッド・ホックニーは同世代であり、もし彼らが同じ場に集ったなら、その場はとても華やかだろうと想像する。そういえば2014年に英国ブランドのBurberry Prorsumが”Writers and Painters”をコレクションテーマとして彼ら2人からインスパイアされた作品を発表していたのだった。仮想の場だけど、彼らが既に同じ場にいたと知ってなんだか嬉しくなった。
カフタンのような服を着て杖を持つ裸足の男が立っている。
彼を取り囲むように並ぶ文字の意味は"LICHT"が光、"LEBEN"は命、そして" LIEBE"が愛、どれもドイツ語だ。
約7cmx9cmほどのスペースにいるこの男を初めて見た時、直ぐにイングマール・ベルイマンの『第七の封印』に出てくる死神を連想した。しかし、思い返してみると死神はチェスはしていたけど杖は持って無かったし、裸足でも無かったはず…と記憶の中の死神と目の前のカフタン男を脳内で比べるうちに下辺の文字“R•KAEHLER"が単語ではなく人名らしい事に気付いた。
そう、この小さな紙片はEXLIBRIS(蔵書票)だ。
樋田直人氏の著書「蔵書票の美」(小学館ライブラリー)によると、EXLIBRISはドイツ発祥説が有力で、ゲルマン民族では古くから所有物にしるしをつけることがよく行われ、他人のものと区別する習慣があったそうだ。活版印刷が発明されたのもドイツだし、書籍と蔵書票というのはとても自然な繋がりに思えた。
なにしろ欧米では15世紀ごろまでは羊皮紙が主流で、それ自体作るには膨大な時間と手間がかかるわけで、その上内容も手で書き写していたとなれば当時の書物がとんでもなく貴重な物だったのは容易に想像できる。
よって当時のEXLIBRISに『紋章』を使ったものが多かったのも、貴重かつ高価な書物を所有できたのが貴族等の階層に限られていたのが大きいのだろう。
しかしその後、活版印刷が発明された事により書物が一般の人々も所有できる事となり、EXLIBRISを作る人も増えた。そしてその後長い年月を経てはるばる日本にまで伝わったのだから、この小さな紙片に大きな浪漫を感じずにはいられない。
結局のところ死神を連想させたカフタン男が何を意味するかは分からない。物語の内容を表しているのかもしれないし、メッセージが含まれているのかもしれない。いずれにせよ自分の所有を表明するなんてとても個人的な事であるからこそ、絵柄にその人の好みやセンスがダイレクトに反映されている点も興味深い。紋章や家紋もあれば、モットーや縁起物、街の風景や静物などなど、この小さな紙片の中はとても自由だ。
Dr.HANSHOFMANNのものらしいが、カーテン越しにこちらを見てる人が・・・
日本では芹沢銈介、バーナードリーチ、竹久夢二、徳力富三郎、恩地孝四郎、武井武雄、谷中安規、前田千帆などなど錚々たる作家が手がけた作品も多く、また欧米で主流となったエッチングに比べ木版画が多いのも日本のEXLIBRISの特徴かもしれない。
そこで以前古書店で手に入れていた山高登自選全書票(1983-2006)を改めて見てみる。
300枚ほどある蔵書票のテーマを見てみると「飛行船」「手まわしのオルゴール」「暮れる駅」「紙漉き」「きせかえ」「天使と旗」などとてもバラエティーに富んでいる。資料を目的としているのでモノクロが大半なのだが、それでもどれも木版画ならではの温かみが伝わってくる。
300枚以上のデザインが並ぶ、圧巻
一番気になったのは25番「手まわしのオルゴール」