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Mar 19, 2018

Diego, Frida and Mexico

フリーダ・カーロといえば次に思い浮かぶのはディエゴ・リベラだ。我が家には彼らの作品集では無く、彼らの「蒐集品」の図版がある。『La colección de arte popular del Museo Estudio Diego Rivera y Frida Kahlo』


Books & Thingsで購入した当初は出版元が美術館と聞いて、てっきりフリーダのブルーハウス(Museo Frida Kahlo)の事だと思い込んでいた。
が、後でじっくり表紙を見てみるとブルーハウスではなくサンアンヘルにあるMuseo Casa Estudio Diego Rivera y Frida Kahloだった、初耳だ。早速調べてみると、その名の通りフリーダ・カーロとディエゴ・リベラのアトリエ兼自宅だった所で1932年に完成している。設計はメキシコ国立自治大学の中央図書館のあの巨大な壁画を担当したファン・オゴルマンで、1905年生まれのオゴルマンにとっては27歳前後で手掛けた作品であり、中央図書館の完成が1954年頃なのを考えると2人はとても早い段階で彼の才能を見出していた事になる。


残念ながらこの図録に建物の外観は掲載されていないが、ネット上でユニークな3棟の建物(フリーダ、ディエゴ、そしてファン自身のもの)を探すのは容易で、それぞれの異なるデザインには思わず目を奪われる。フリーダのアトリエ(ここも外壁は青色だ)とディエゴのアトリエ(外壁は赤と白のツートンで屋上はギザギザになっている!)は互いが行き来できるように屋上で繋がっているらしく、映画「フリーダ」でも実際にこの建物が撮影に使用されているそうだ。サルマ・ハエックのフリーダ役がとてもハマリ役だったのは強烈に覚えているのだけれど・・・ああ、もう一度観なければ。

現在この美術館にはフリーダとディエゴの蒐集品が展示されていて、その中から厳選されたものがこの図版に掲載されている。生命の樹、ガイコツ人形、陶器や土人形等どれも素晴らしく、掲載されているものの多くがメキシコのフォークアートだ。巻末にはそれぞれの作者(ほとんどが不明)やサイズ、材質も細かく掲載されていて資料としてもとても見応えがある。また蒐集品と関連した絵画作品も並んで掲載されている点も面白いのだが、何故か全てディエゴの作品でフリーダの作品は掲載されていない。




確かフリーダが生まれ、死を迎えたのはブルーハウスであり、石内都さんが遺品の撮影で訪れていたのもブルーハウスだ。アトリエに立つディエゴの笑顔が掲載されている事を考えても、この図版に掲載されているものはディエゴにちなんだものが中心と考える方が自然ということだろうか。ただフリーダのブルーハウスにも同じくメキシコのフォークアートが多数展示されているのは有名でその様子を見ても、2人のモノを選ぶ時の好みや感覚が非常に近く、同時に2人がメキシコをとても愛していた事は十分に感じ取れる。





アトリエにて蒐集品と自作"Retrato de Jose Antonio del Pozo"の前で笑顔のディエゴ。好きなものに囲まれて、いい顔してる。

Jul 26, 2017

フレーミングの法則

その美しい表紙を見た時、とても不思議な感覚に陥った。この作品を知っているはずなのに、記憶のものとはどこかが決定的に違うのだ。


表紙を持ったまま首をかしげる事しばし、なんとか記憶の引き出しから小村雪岱を取り出す事に成功。厳密には小村雪岱の「雪の朝」という作品の一部。(下画像の左ページが作品の全体像)

これはアムステルダム国立美術館(RIJKSMUSEUM)で2016年に開催された日本版画の収集家エリーズ・ウィッセル(ELISE WESSELS)氏のコレクション展
"JAPAN:MODERN. JAPANESE PRINTS FROM THE ELISE WESSELS COLLECTION"
の図録、これがたいそう面白い。
青〜黄緑〜ピンクと美しいグラデーションになっているPP素材のケミカルなカバーに版画が包まれているという対比もユニーク。
裏表紙には「JAPAN:MODERN ジャパン モダン」の文字

表紙だけでも既に前のめりだったのが、ページを進めていくともっと心を奪われた。
小早川清の脚

川西英と前川千帆の波止場

川西英と川上澄生の夜の群衆

ところどころに挟み込まれれたこれらのクローズアップは、選び方や切り取り方が面白く図録全体にリズムをもたらしている。作品の全体像と見比べていると、まるで実際の会場で遠くからだったり近づいたりしながら見ているような気分だ。
小泉癸巳男「羽田空港飛行場」1937年



右ページ 恩地孝四郎「ダイビング」1932年


この図録の素晴らしいところはセンスの良い構成だけでなく資料としてもとても優れている点。歌川広重や葛飾北斎、菱川師宣等の浮世絵(TRADITIONAL JAPANESE PRINTSと明記)に始まり、コレクション展のメインテーマである創作版画"CREATIVE PRINTS"と新版画"NEW PRINTS"についてその成り立ちと歴史に関するマニアックな解説(版元の渡辺庄三郎や小林文七の名前まで出てくる!)、またそれぞれの代表的な作家(前者は山本鼎や樋口五葉等、後者は伊東深水、川瀬巴水等)についても詳細な情報が記載されている。
特に20世紀前半の50年間で変貌する日本の文化や混沌の様子(特に大都市となる東京)を創作版画と新版画が記録しているという内容(たぶん)の解説が印象的だった。

恩地孝四郎 L'outomne(左) L'hiver(右)1927年

川瀬巴水 二重橋の朝 1930年(左) 相州前川の雨 1932年(右)

深沢索一 昭和通ガソリンや 1933年(左) 諏訪兼紀 浅草 1930年(右)

小泉癸巳男 東京駅と中央郵便局 1936年

辞書を片手に作品と解説の間を何度も行き来するのは苦しくも楽しい作業だ。アムステルダム国立美術館の場所はとっくに確認済みである。



Jan 9, 2017

¿Quién es él?

昨年末のこと、いつもの如くスルスルと吸い込まれ入店した古書店でこれを見つけてしまった。

フランスのワインメーカーNICOLASのカタログ、1953年のもの。
NICOLASのワインカタログは"A"のブログにもたびたび登場し、すっかり影響を受けて以来、運と縁に任せて集めている
今回は古書店に入るや否や鮮やかな色が視界の隅に入ったのでそちらに目をやると、サイズ感や綴じ方で遠目でもNICOLASのそれだと分かる。が、見つけたカタログは黒を背景に金色に輝く不思議な横顔が表紙を飾っている、一体これは誰だろう。

早速店主に中を見せてもらうと目の前に美しいイラストが現れ、謎の横顔についてはあっさりと解決する
剣と盾orサーブルらしきものが描かれた見開きに"DON QUICHOTTE"の文字。ということは表紙を飾っていたのは物語「ドン・キホーテ」の主人公、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャその人だった。
詳しく頁を見てみると
"ILLUSTRATION DE LÉON GISCHIA" 
 "ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と印字されている。
まずイラストを担当したLéon Gischia(レオン・ジシア)について調べてみるも、フランスの画家でレジェに師事し1937年のパリ万博で壁画を製作、舞台美術家でもあったというぐらいしか分からない。堪らずここで"A"にヘルプを要請してフランスでの情報を調べてもらう。以下"A"がサクサクと調べてくれた情報のまとめ

Léon Gischia(1903-1991)は芸術学と考古学を学び、超名門のルイ・ルグラン高校に入るほどの頭脳の持ち主で兵役(なんと航空部隊!)を経験した後、アメリカに滞在しヘミングウェイやカルダーと親交を持つ。その後フランスに戻り、レジェと近しくなり共にパリ万博でコルビュジェ設計のパビリオンのデコレーションを担当。Salon de Maiの創始メンバーで演劇界でも仕事を残した。画風は大きく3時代に分かれ、1917年から1942年までは風景・静物・肖像を多く描き、デッサンも多数。マティスやフォーヴ派の影響が見られる。1942年から46年まではレジェやピカソらキュビスムの影響が見られ、この頃には画風がかなり単純化されグラフィカルになる。1960年から亡くなるまではさらに抽象的な画風になり、矩形や円の構成になった。

航空部隊を志願出来る程の秀才であり、絵画の才能も持ち合わせていたジシアが不器用なドン・キホーテを描いたこのカタログは1953年に発刊されたもの。"A"の情報から推察すると、ジシアの画風がキュビズムから影響を受け更には抽象画へと変化を遂げる過程の作品という事になる。

では気になる頁を進めて参りましょう。
物語の冒頭、騎士道物語を読み耽るドン・キホーテ。マティスの切り絵を彷彿とさせる。

城主と思い込んだ宿屋の主人に叙任式をしてもらっているシーン。"VENTA"(La venta)はスペイン語で宿の意味らしい。

前編のハイライト、風車に向かうシーン。左頁の余白の使い方も良い。


ライオンの檻に向かうシーンは見開きで。


物語の最後、城に戻るシーンにはトボトボ感が溢れている。奥にはサンチョ・パンサらしき人物も。
右頁の1枚の葉は前の持ち主が栞代わりにでも使っていたのだろう、古いオブジェのように堂々とした佇まいでそこに在ったので勿論このままにしておくことにする。

それにしても今回のこのカタログは細部にまで細かくデザインが配されているのも素晴らしいところ。

見返し部分のデザインと裏表紙も見逃せない。




恐らくこういった全体の意匠を担当したのが"ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と記されたAlfred Latour(1888-1964)ということなのだろう。Wikipediaで調べてみると確かに1934年からNICOLASとコラボレーションを開始したと記載されている。そこで気になるのが"ORNEMENT"という言葉、再び"A"に質問すると日本語の「オーナメント」でイメージする通り「装飾や飾り」という意味だそうで、レイアウトとアート・ディレクションを担当したグラフィックデザイナーの当時の呼称だろうとの事。恐らくまだデザイナーという単語が浸透していない時期のものであり、呼称の変遷まで知る事が出来て得した気分になる。

実は謎の横顔に気を取られて最初は気づかなかったのだが、表紙の下の方にはこんな一文が小さく印字されている。
SOUS LE SIGNE DU "CHEVALIER A LA TRISTE FIGURE"
『「哀しき表情の騎士」の看板の下に』とでも訳せば良いのだろうか・・・(自力翻訳につき自信は無い)。
いずれにせよ、初めて見た時と今ではその横顔は全く異なって見えるのです。

Aug 2, 2016

Hopper and Keene

古書店を見ると入ってしまう。
これは「パブロフの犬」と同じで、条件反射というか無意識に近い。

先日もたまたま通りかかった古書店にふらふらと入り、Edward Hopper(エドワード・ホッパー)の画集を手にして出てきた。

というのもホッパーの作品を最近手に入れたので、それが掲載されている画集を探しているのだけれど、これがなかなか見つからない。今回手にした画集にも結局お目当の作品は掲載されていなかったが格安だったのでついつい買ってしまった。

探している作品はこちら "Eleven A.M."  



ん?エドワード・ホッパーではないじゃないか!というご指摘の声が聞こえてきそうですが、そうでなのです、正しくは「アメリカのアーティスト Steve Keene(スティーブ・キーン)によるエドワード・ホッパーの"Eleven A.M."」。ちなみに板に描かれています。

ホッパーの作品には窓と人が登場するものがとても多く構図も独特なので、この作品を初めて見た時もどこかホッパーっぽいなと興味を持ったのがきっかけだった。検索したホッパーの作品と比べてみると窓と女性、青い椅子、壁の絵という要素は同じでも、当たり前だが作風も配色もその形(材質も!)も全く異なる。それなのにきちんとホッパーの作品が持つ空気感や喪失感は感じ取ることができるのは流石で、何よりもホッパー云々を抜きにしてもとてもとても魅力的な作品。


せっかく画集を購入したので、ホッパーの作品も。
"Office in a Small City"


これも窓と人が登場するが、現実的には有り得ない程の大きな窓にはガラスが入っておらず、まるで映画のスクリーンのようにも見えてくる。映画監督のアキ・カウリスマキやヴィム・ベンダースがホッパーから影響を受けたというのが分かる気がする1枚。

それにしても今回のように好きなものが思わぬところで繋がるのはとても楽しい偶然。だから今日も古書店を見つけてはふらふらと入って行くのです。


Jul 6, 2016

Euskal Herriko sukaldaritza tradizionala

achikochizのバイヤー"A"が集めているフランスのバスク模様の古いうつわ。
数年前に"A"宅を訪れた時点でも既になかなかの種類と量でしたが、ブログや本人の話から察するにその後もコレクションは順調に増え続けているようで、日々愛用する様子は"A"のインスタグラムでも公開され、飽きのこない不思議な魅力を確認することができます。
赤と青のラインというシンプルな構成にも関わらずその種類は驚くほど豊富で、"A"が次にどんなものを探し出してくるかも密かな楽しみとなっています。

そんな"A"のコレクションの一部がこの度、誠文堂新光社より発売された
「バスク料理大全 Euskal Herriko sukaldaritza tradizionala」に
コラムと共に掲載されました。


"A"のバスク愛に溢れたマニアックなコラムとコレクションの一部は194-195頁に掲載されています。個人的には楕円と正方形のものが気になる。

またachikochiz.comで取り扱っていた深皿とデザート皿もレシピの頁にてご使用いただいています。

この書籍では「スペイン・バスク」と「フランス・バスク」それぞれの「山バスク」と「海バスク」のレシピが約100点掲載されている上に、バスク地方の風土や食文化にまつわる興味深いコラムも掲載されていて、レシピ本としてだけでは無く読み応えもある一冊にもなっています。おかげでこれまで漠然としていた「バスク」が突如として身近なものになり、いつか行ってみたい場所から必ず行きたい(食べたい)場所になってしまった。

タイトルにあるEuskal Herriko(エウスカル・エリア)はバスク語での「バスク地方」という意味だそうで、独自の言語を持っているのもとても興味深い点です。偶然にも最近読んだ「暗幕のゲルニカ」(原田マハ著・新潮社)にバスク人(ここではスペイン・バスクの人々のこと)に関する会話のシーンがあり、中でも「彼らはスペイン人じゃない。どこまでもバスク人なんだ。」という一文がとても印象的で、こんなに強い言葉で表現されるバスクの土地と人々とは一体どんなだろうと思いを巡らしていたところでした。

我が家でも愛用しているバスク模様のうつわですが、ここ最近は赤・青・白の3色以上に色を持って見えるのはきっと気のせいではないと思います。



Apr 18, 2016

1954

1954年が気になる。

というのも、ここ最近気になったものが偶然にも
1954年のものだったから、という単純な理由。

時代はミッドセンチュリーど真ん中、各年それぞれを
クローズアップすれば素晴らしい作品に出会うのは当然、
という事実は今回はそっと横に置かせていただきたい。

その1
SAUL LEITER "Bus, New York 1954"


ソール・ライターは1946年からカラー写真を撮り始めたそうだが
当時はまだモノクロ写真が主流の時代で、カラー写真はあくまでも
記録用という捉えられ方だったらしい。
(カラー写真なんてやめておけと当時の写真家仲間から言われたと
ソール自身も語っている)

ハーパーズ バザー等のファッション誌で活躍しつつも1981年にスタジオを
閉鎖して一線から姿を消したソール・ライター。元々自分の作品を積極的に
発表する事を好まない彼はカラー作品を始め日常的に撮り続けた多くの作品を
あくまでも個人的なものとして世に出さずにいたが、1990年代に入りのちの
ソール・ライター財団ディレクターとなるマーギット・アーブに出会った事で
その膨大なコレクションが発表されることとなる。

初期のカラー作品(1940年代〜1950年代)を集めた写真集"Early Color"が
Steidl社から出版されたのは2006年。出版に尽力されたマーギットさんには
ただただ感謝したい。
それにしてもこの写真集の装丁はデザイン、サイズバランス、質感etc.
全てにおいて完璧で、例えばこの頁のちり(表紙が内側に巻かれている部分)
の赤とバスの車体の赤のなんとも美しいこと・・・。
さすがSteidl社、表紙だけでもずっと眺めていられる。


*ちなみにSaul LeiterとSteidl社については偶然にもそれぞれを扱った
ドキュメンタリー映画が近年製作&公開されている。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
『世界一美しい本を作る男 〜シュタイデルとの旅〜』


その2
GIORGIO MORANDI "Still Life 1954"


これまた愛してやまないジョルジョ・モランディの作品。
昨年末から始まった「終わりなき変奏」展を訪れた際(結局3回行ってしまった)
気づいたら何故かこの作品の前でいつも足が固まっていた。

ルイジ・ギッリに代表されるモランディのアトリエ写真を見ていると
そこには繰り返し描かれた静物画のモチーフとなる缶や壜のオブジェが
棚や床に所狭しと置かれている。しかもその中にはモランディ自身によって
色を塗られたり、オブジェ同士を接合して不思議な形にカスタマイズされたもの
もあって大変興味深い。またそれらに積もった埃は払うことを禁じられていた事や
構図の配置を正確に記録する為、無数のマーキングの跡がテーブルや紙の上に書き
残されていたこと等を知れば知るほど、繰り返し描かれた対象物との果てしない
関係性の深さに圧倒される。

余談であるが「静物画」の表記は英語では"Still Life"(動かざる生命)なのに対して
イタリア語では"natura morta"(死せる自然)とまるで違うのが面白い。
実際モランディの作品も画集によってそれぞれ表記は異なっている。
(以下、現代美術用語辞典から引用)
語源的にはゲルマン語系のstilleven(蘭)、stilleben(独)、still life(英)と、
ラテン語系のnatura morta(伊)、nature morte(仏)の2系統がある。
stilleven(直訳すれば「動かざる生命」)は17世紀中頃オランダで現れた表現であり
事物の静止性という側面を取り上げている。それに対しnatura morta(直訳すれば
「死せる自然」)は18世紀イタリアでの造語であり、当時アカデミズムにより
上位のジャンルとされていた歴史画、肖像画がnatura vivente(生きている自然)
と呼ばれていたのに対して、静物画を蔑視的にこう呼んだのである。


その3
木村伊兵衛「パリ 1954-55」


「木村伊兵衛 パリ残像」展で見たこの作品もまたもや1954年。
壁の赤と緑がまず目に飛び込んでくるが、ペンキ塗り職人の作業エプロンの
白色と梯子の存在がとても印象的な作品である。

木村伊兵衛は1954年に富士フィルムから開発されたばかりのカラーフィルムを
託され初めてパリを訪れているが、当時日本から海外へ渡航するのは容易なこと
ではなく、実際「アサヒカメラ」の編集長から「夢物語かも知れないが外国へ
行く気はないか (以下省略)」と話を持ちかけられたという文章を残している。
(『フォトアート』臨時創刊 木村伊兵衛読本 研光社 1956年 8月)
今回展示されていた当時の作品と「撮影日記」に記された言葉からは、初めて触れる
パリの空気感や人々の内面への新鮮な驚きが現れていて、試行錯誤を楽しみながら
撮影していた様子がうかがえた。

前述のソール・ライターと木村伊兵衛、それぞれが1954年にニューヨークとパリで
色を探して撮影していたと思うとそれだけで楽しくなる。もちろんボローニャでは
モランディが相変わらずオブジェと対話していたであろう。

ついでに1954年の日本での出来事も調べてみたところ、1954年2月30日は鬼太郎
(もちろんゲゲゲの鬼太郎)が墓から生まれた年なのだそうだ。

いずれにせよ1954年は特別な年号になりました。

Jun 7, 2015

Le Mont Fuji et Le Vin

浮世絵にありそうなその表紙絵には縦書きで「不二」とあった。
また横書きのフランス語も同時にその表紙にはあった。


不思議に思ってページを捲ると、そこには更に美しい世界が。





この不思議で美しい本の正体は、フランスのワイン店Nicolasのカタログ。
毎年様々なアーティスよって挿絵が施されていたもので、(挿絵入りのものは
1973年まで作られていたらしい)年代や種類ごとに細分化されたワインの
銘柄が価格と共に掲載されている。

この1950年版カタログの中表紙には、Illustrations de R.Harada とあり、
印とサインからも「原田梨白」という日本人画家によるものだと分かる。
その絵の筆運びや色遣いはどちらかというとイラストに近いような雰囲気であるが、
逆にその柔らかさがフランス語のフォントとの絶妙なバランスを保っている。
どのページも美しく、できる事なら全て掲載したい程。


原田梨白という人物については購入した古書店Books & Thingsの店主も
あれこれ調べ、幾つかの経歴は判明したものの詳しくは分からないとの事。
このカタログを受け継いだ者として、継続調査という宿題ができてしまった。

Nicolasのカタログといえば当店achikochizに素敵な品々を卸してくれている
これまた美しいNicolasカタログのカッサンドル版が掲載されていて、
それをずっと忘れられずにいたのが形を変えて叶ったという事らしい。

65年後の日本で身辺が騒がしくなっている事を原田梨白氏ご本人は
想像できただろうか?
いずれにせよ、このカタログを手にした人を感動させたのは当時も今も
変わらないとは思いますが・・・。