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Feb 11, 2021

饅頭こわい

描かれてたキリストが修復後には全くの別人になってしまった、という騒動が何年か前にスペインの教会であった。

発覚当初は散々叩かれてたというのに画像が世に広まるにつれ話題の絵を見ようと教会への訪問者が増加、その結果入場料も徴収するようになり(保存や慈善活動に充てるらしい)更にはその絵をプリントしたグッズまでも販売されたのだそうだ。作者も教会側も色んな意味でまさかこんな事になるとは思って無かっただろうけど、今の時代を映した顛末だと思う。



この土人形の顔はまさにその騒動を思い起こさせるレベルだ。シルエットや凹凸から推察すると恐らく饅頭喰い人形なのだろうけど持っている他のと並べてみると全然違う、まさに別モノだ。



まず饅頭喰い人形ならば両手に饅頭を持っているはずなのだが見当たらない。

何故饅頭なのかというと、これは大人に父と母とどちらが好きかと聞かれた子どもが持っていた饅頭を二つに割ってどちらが美味しいか、と問い返したという説話からきているらしい。




この饅頭喰い人形(仮)にもそれらしき凹凸はあるのだが装束も含めて型取りの凹凸を完全に無視した色付けになっている。しかも表情に至ってはまるで一筆書きレベルだ。




饅頭喰い人形と言えば落語「三十石」でも京土産として登場するし、饅頭括りにすると「饅頭こわい」もある。

落語の楽しみは同じ演目でも噺家によっても異なるし、上方と江戸落語でも違って聞こえるし、更には同じ噺家でもその時々で変化するところだ。まず基本の型があって、それぞれの個性や技やタイミングで変容を遂げる。

そうこう考えていると、この饅頭喰い人形が仮でも別物でも何ものでも、もうそれはそれで良いのだと思えてしまう。


徳力富吉郎作 饅頭喰い


Oct 22, 2019

Spartacus


iPodを検索してみると「Love Theme from Spartacus」という曲が5曲も入っていた。
正確にはその内2曲はBill Evansの「Spartacus Love Theme」なのだが、どれも1960年のアメリカ映画「スパルタカス」のテーマ曲で、オリジナルは入っておらず、アーティストも違う。
これらの曲はそれを目的にダウンロードしたものではなく、集めたアルバムにたまたま収録されていたものなので、繰り返して聴いているうちに前にも似たのを聴いたようなというデジャヴが起こり、そこでようやくバージョン違いが5曲も入っている事に気付いたのだった。
映画本編を観たのもつい最近の事で、テーマ曲だけ何度も聴いた後に観るのはなんだか申し訳ない気分だったが、その作品は今では考えられない膨大な数のエキストラが登場する壮大な歴史スペクタクルで、主演のカーク・ダグラスがマイケル・ダグラスの父上だったり、監督が若き日のスタンリー・キューブリックだったりと、驚きと圧巻の197分間だった。

ここにくらわんか皿がある。
関西に住んでいると「くらわんか」はたまに耳にする単語だが、その正体について深く考えたことは無く、大阪を「なにわ」と呼ぶように、枚方地域についての呼称という程度の認識だった。それが「くらわんか碗」の存在を知り、色々調べるうちに身近な単語や地名とどんどん結び付いて、一気に気になる存在となった。しかしいざ探すとなるとなかなか好みのものを見つけることができず、やっとこのくらわんか皿を見つけた時はとても嬉しかった。白磁の鈍い白の上に鳳凰と宝珠が赤と緑で描かれているが、強すぎずむしろすっきり見えるバランスがとても渋くて気に入っている。





くらわんか碗(皿)はくらわんか舟で使われていたうつわ(もしくはそれを模したもの)の事で、くらわんか舟とは江戸時代に大阪・京都間を流れる淀川を往来する三十石舟相手に食べ物や酒を売っていた商い舟のことだ。ちなみに正式名称は茶舟で、煮売舟とも呼ばれていたらしく、時代劇に度々登場する煮売屋(今で言うところの総菜屋)の舟バージョンだ。

淀川蒸気船は明治元年の誕生で、京阪鉄道が開通するのは更に先のことなので、当時京都と大阪を結ぶ三十石舟は最もポピュラーな交通手段だった。最盛期には1320便、およそ9000人が往来したそうで、下りは6時間、川の流れに逆らう上りは12時間かかり、曳舟といって乗組員が岸から綱で引っ張っていたというから驚きだ。(料金も上りは下の倍以上したそうだ)
枚方は大阪と京都のほぼ中間地点であり、当時主要な中継港(枚方宿)で、くらわんか舟は停泊する三十石舟に横付けして商売をしていたらしい。そのかけ声は寝ている客までも起こす大声だったそうで「飯くらわんかい、酒のまんかい」(飯を食べないのか?酒は飲まないのか?の意)という乱暴な方言が名物となって「くらわんか舟」と呼ばれるようになり、あの東海道中膝栗毛や歌川広重の作品にも登場する。

三十石舟といえば落語も忘れてはいけない。庶民が京から大阪に下る道中の噺なのだが、現代も通じる大阪人から見た京都人の描写があったり、伏見人形が登場したりと何度聞いても面白い。演目が「三十石夢の通路」(または三十石)というように、今では1時間足らずの道中も当時は色んな出来事が繰り広げられたのだろう。そう思うと見慣れた淀川も随分違って見えるのだから、これもくらわんかのお陰だ。



Aug 11, 2019

Like a Old Stone


遠くに良さそうな石仏を見つけたので意気揚々と近付いてみたが、どうも石仏では無いらしい。更に距離を縮めるけれどその正体は謎のままで、手に取ってようやく土人形だと判明した、それぐらい石仏みたいな土人形だった、姿は大黒天だ。


大黒天、というと打ち出の小槌を片手に俵の上に乗っているのが一般的な気がするのだけれど、これはどうも違う。頭上に不思議な丸い物体があるし、足元もなんだか変だ。何度見ても大黒天の顔だけは判別できるが、それ以外は何が何だか分からない。

実はこれ右足を俵に乗せ、両手で俵を担いでいる俵担ぎの大黒天なのだ。
これだけ彩色も剥がれ落ちているのにどうして正体が分かったかと言うと、実はこの少し前に別の俵担ぎを偶然手に入れていたからで、そうなると2体を並べない訳にはいかない。

ということで石仏似を持ち帰り、早速先に手に入れていた大黒天と並べてみた。


すると予想以上に大きさも似通っていて、その分違いが際立ってとても面白い。
石仏と間違えた方は左脇の下部分にかろうじて赤い色が確認できるぐらいで、その他の部分はすっかり色が剥がれている(この赤く彩色された部分は何なのか・・・腰紐?脱いだ上衣?なのだろうか・・・)。
そもそも石仏と見間違ったのは真正面からしか見ていなかった事が原因で、全体を矯めつ眇めつ見てみると土人形ならではの前後の接合部分もあるし、底の部分にも作者?所有者?らしき名前のようなものが書かれている。
それにしても土人形と分かっていてもこの剥がれ具合といい表面感といい、見事な石仏似だ。




一方彩色の残っている方は何ともコミカルな表情だ、俵を担いで重労働なはずなのになんとも余裕のある朗らかな表情。土人形と言っても様々な種類があって、同じモチーフでもとても緻密に絵付けされているのもあれば、この大黒天のようにかなりゆるい雰囲気のものもある。産地や作者それぞれに味わいがあり、それこそが土人形の醍醐味で、よってこうやってどんどん増えてしまうわけです。


2体を見比べているとどちらも本当に魅力的で甲乙付け難い。というより甲乙なんて付けなくて良いのだ、だってボブ・ディランが歌っても、ローリング・ストーンズが歌っても名曲は名曲なのだから。


Jun 23, 2019

Memory game


久しぶりに旅に出ていた。
時差ボケが無い(というか感じない)体質なのはこういう時にとても便利で、今回も日が昇れば目が覚めて、暗くなれば眠る日々だった(機中は夜と捉えている)。
この体質についてはいつでも何処でも眠れるのが最大のポイントだと考えていて、普段から電車でも昼休みでも15分ぐらいのフリータイムがあれば眠ってしまう。眠りのスイッチはいつでも側にあってそれを押せば直ぐに眠りの世界に入り込める。もしシエスタのある国に行ったらその習慣にだけは直ぐに馴染める自信がある。

なのでメキシコからやってきたこのトラケパケの小皿を見ると思わず口元が緩んでしまった、そこに昼寝仲間を見つけたからだ。

ソンブレロを被って昼寝をする男性の絵柄はメキシコのお土産物などでよく見るが、大体が仰向けで足を組んでいたり、体育座り(三角座り)の体勢が多く、うつ伏せ寝のタイプは珍しいような気が・・・。きっとよっぽど眠かったに違いない。

こちらも定番、ラバの絵柄。黒目がちな造作がそう感じさせるのか、少し寂しげでお疲れの様子だ。ベースの黒色がより一層物哀しさを強調してるような・・・。

最後はあぐらをかいて座る休憩中?の男性の後ろ姿、側に生えているサボテンの色がカラフルだ。ソンブレロと同じくメキシコと言えばのポンチョを着用している。3枚どれにも共通して言える事だが荷物を運搬するだとかのいわゆる労働的なシチュエーションでは無く、休憩中やシエスタ中であったりするおおらかさがメキシコらしいと感心してしまった。まあ他の国に目を向けてみると、呑んべえが描かれた絵皿もあるのだからシエスタ中なんて可愛いものかもしれない。

トラケパケはお隣のトナラと共に民芸品の生産が盛んな地域で、この絵皿もおそらく土産物用で現代のものというより少し古いものだろう(裏面には緩い筆致でmexicoとだけ刻印されている)。それにしても日本の焼き物ではあまり見られない色と組み合わせは、当然ながらおにぎりやお醤油よりもタコスやチリソースが似合うように出来ている。日本のものなら、おかきだとかの乾き物を載せても相性が良さそうだ。

トラケパケについて調べていたら今回の旅で見かけたのと同じ色とりどりの傘を飾り付けた風景を見つけた(毎年期間限定で傘や浮き輪を飾っているらしい)。単なる偶然なのだけれど思わぬところで同じ絵柄のカードを引いたような気分になって、またしても口元が緩んでしまった。




Jan 3, 2019

The World's End


2019年が始まったばかりなのに、新年に相応しく無いタイトルになってしまった。

ワールズエンドというのは先日観たイギリス映画のタイトルで、学生時代に達成できなかった「パブ12軒を一晩でハシゴする」というイギリスらしい偉業(?)を達成するために20数年ぶりに集まった中年5人組の話だ。後半になるとストーリーは思わぬ方向に進むのだけれど、監督がエドガー・ライト、そして「宇宙人ポール」の2人が出ているとなるとむしろそれも自然で、次々と出てくるビールを彼らが苦しそうに(たまに美味しそうに)、時に仇のように飲んでいる姿を楽しみつつ少々親近感も覚えながら鑑賞した。

酔っ払いといえば、オランダのROYAL SPHINXの絵皿だ。
直径11cmの中に描かれた飲んべえ達はそれぞれ酒の種類も違えば、職業や年齢も異なる。


まずは左のポケットに手を入れた労働者らしきおじさん、手には酒の入ったグラスと傍らにはボトル。下部には” Le vin ordinatre “の文字があるが、これは「『普通の』テーブルワイン」の意味。くわえたパイプと斜めにかぶった帽子で仕事終わりの開放感を感じさせるこの男性、首元のスカーフと上着のシルエットにどこか見覚えがあると思ったら、ここ数年少しずつ集めているフランスの古い写真ハガキ CARTE POSTALE の登場人物と服装がとても似ていることに気づく。スモック風な上着はまさにBiaude(ビオード)で、ROYAL SPHINXはオランダの陶磁器会社だが、こんなところで共通項を見つけるのはとても楽しい。

次は不思議な帽子を被った若者?である。彼の傍らにはピッチャーらしき酒壺があり、下部には”Le Cidre”の文字でこれはシードルの意味だ。ベストと側章入りのパンツ、足元には木靴と大道芸人のようにも見えなくは無いが、ご陽気な表情でさぞ今宵の酒はうまい事だろう。見事なまでに半分に割れて継がれているのはご愛嬌。



上の元気そうな若者とは打って変わって次は髭面のおじいさん。服には当て布が施され、帽子もヨレヨレで背後に置いた籠にまで補修の跡が見える。何かの行商人なのかもしれないが、テーブルにはボトルやピッチャーは見当たらず、小さな陶器のカップのみ。”Eau-de-vie”は直訳すると「命の水」となり、これは薬酒として使われていた蒸留酒やブランデーを指すらしいのだが、遠くを見つめるおじいさんの険しい表情に命の水という取り合わせがなんだか切ない。



お次も髭面のおじいさんだが、こちらはどちらかというと紳士風。パイプをくわえ、テーブルを背にしたその姿勢は先程のブランデーのおじいさんとは少々印象も異なる。
さてこの老紳士のテーブルに置かれた酒は”L’Absinthe” ことアブサン。アブサンも元は薬酒だったそうだが、禁断の酒や悪魔の酒と呼ばれた事から想像出来る通り中毒者も多く、その数が増加し過ぎて一時期製造中止にもなっている。それにしてもテーブルに置かれた酒瓶の下に向かってやや傾斜するシルエットはまるでコンプラ瓶を思い起こさせる。コンプラ瓶といえば東インド会社が長崎からオランダやポルトガルへ酒や醤油を輸入していた際に使用していた物なので、その空き瓶を再利用したり模倣したりしても何ら不思議ではない。またその隣に置かれた酒器も脚のついた変わったデザインで、調べてみるとアブサンには幾つか飲み方があり、アブサンスプーンと呼ばれる平たいスプーンに角砂糖を乗せ水を注いで溶かし垂らす飲み方があるらしい。この絵皿にアブサンスプーンは見当たらないが、もしかすると当時からアブサン用の酒器というものがあったのかもしれない。



今はもう手元に無いのだけれど、他にも"Pale ale"(ペールエール)と"Le Rhum"(ラム)の種類があって、前者は傘(酒も持ち物もイギリスらしい)とガイド本を持った紳士、後者は葉巻を手にした労働者らしき男性が描かれていて、どれもバラエティに富んだ楽しい酔っ払いのシリーズだ。

と、新年早々酔っ払いばかり紹介してしまったがお正月といえば祝い酒、という事でお許しいただきたい。

この1年、美味しくお酒が飲めますように。

本年も何卒よろしくお願い致します。


Aug 29, 2018

Die Büchse der Pandora


見てはならない、開けてはならない、というストーリーはかなりの確率でその法度を破る展開となる。
集めてはならない、はまってはならないと思いつつ、とうとう手に入れてしまった、古伊万里の皿である。
まあこの場合は法度というより乏しい知識で手を出すべきではない、とこれまで無意識に圏外扱いにしてきたというのと、我が家で使うイメージが湧かなかったというのが正直なところだ。基本手にした物は飾るだけではなく使いたいので、伊万里や九谷に関してはその美しい様を鑑賞するだけで満足だったのに、それは突然目の前に現れてしまった。


まずこれまでイメージしていた伊万里の絵柄と違った事とその配色に既視感があった事が大きい。好きなブランドのテキスタイルを思い起こさせたこの親近感というのは、遠くの存在だった伊万里をぐんと近くに引き寄せ、気がつけば包みを抱えて電車に揺られていた。


帰って早速調べてみると、全体に描かれている羽根や丸が並んだような絵柄は「瓔珞文」(ようらくもん)と呼ばれるもので、瓔珞とは元はインドの王族が宝石などを連ねて編ん装身具を指す言葉であり、その後仏像や寺院の装飾としても用いられるようになったのだそう(今も仏具で瓔珞というものが存在する)、どうりで華やかなわけだ。また絵皿の中でひときわ目を引く赤い丸は赤玉と呼ばれ瓔珞文とともに吉祥文様らしく、美しい配色に加え左右対称の構図、更には中央に描かれた唐子の存在でなんだか曼荼羅っぽく見えなくも無い。江戸時代の古伊万里だということだったが、構図や配色のバランスを見れば見るほど当時の陶工のセンスに驚かされる。これで次のお正月に使う器が一つ決まった

と、アンテナが圏内になったからか続けて面白いものを見つけてしまった。
表面を埋め尽くすような緑が印象的なこの鉢は、明治あたりの「たぶん」伊万里だろうとの事だったが、売り手のおじさんと色々話しているうちにこれが伊万里でも九谷でもはたまた他の窯のものでもそれは大して重要では無い、何故ならこの絵皿が魅力的だからという結論に至った。

何と言ってもこの緩い描写が魅力だ。まず中央に描かれている動物は恐らく獅子だと思われるのだが、近付けどもあまり獅子っぽさは見出せない。しかもその飄々とした顔つきに加え口元にはレタスのような葉っぱも見受けられる。獅子といえば牡丹が思いつくけれど、まさか・・・。

周囲3箇所に描かれている鳥も頭部のシルエットから鸚鵡(オウム)かと思ったのだけれど、止まっている枝が梅らしきところを見ると鶯のような気もする。伊万里といえばヨーロッパ諸国への輸出用に鸚鵡などの絵柄が好まれたと聞くが、単に鸚鵡を描きたかっただけなのか、はたまたわざと梅に鸚鵡を描いたのか職人の意図は分からないが絵柄から色々と想像するだけでもとても面白い。

さらに外側には吉祥文様とされる蝙蝠と瓔珞までも描かれている。要は全部盛りといったところなのか、兎にも角にも魅力的だ。

2つの(推定)伊万里焼を並べた時に初めてどちらも4つの丸紋を配した意匠だったことに気付いた(サイズもほとんど同じだ)。似て全く非なる2つの器の間でそれぞれの特徴や共通項を見つけては両方を矯めつ眇めつ眺めている、不用意に開けてしまったこの箱にはどうやら「楽しい」が残っていたらしい。

Jul 8, 2018

Setting Free The Bears

好きな映画を順番に挙げていくと『ホテル・ニューハンプシャー』はかなり早い段階で登場する作品だ。
誰かのサクセスストーリーや感動的な実話ではないし、VFXを駆使したスペクタクル系のものでも無い。ファンタジーもブラックもごちゃ混ぜで、中には眉をしかめる場面もあるというのに時々強烈に観たくなってしまう。きっとあの独特な世界観の中で語られるある台詞が聞きたくて何度も観ているのだと思う、その場面はとても短いけれど毎回残像が頭を離れない、個人的にとても大切に思っている映画だ。
ホテル・ニューハンプシャーを取り巻く人々はどれも個性的な面々であるが、中でも熊はキーパーソン(キーアニマル?)だ。原作者であるジョン・アーヴィング作品の中でも熊は常連で、デビュー作『熊を放つ』に至ってはそのタイトルに堂々と登場しているほど。

日頃身近な熊といえば、北海道土産の定番である木彫りの置物にはじまり、パディントン、 プーさん、くまモン、ダッフィー 等など、意識しなくとも目にする機会はとても多い。それだけキャラクターとして愛されているにも関わらず、ある日森の中で実際に出会ってしまったら親しみよりも恐怖を感じてしまうに違いないなんて、人間と熊の関係もなかなか複雑だ。

さて、我が家に熊の新入りが登場した。もちろん親しみのある方の熊でイヌイットの石彫のもの。以前手に入れたものはどちらかというとデフォルメされたキャラクターっぽい風貌のものだったが、今回は小ぶりながらもリアルな後ろ姿に一目惚れした。


ラフな仕上げにも関わらず、石という素材感を超えて今にも動き出しそうだ。

後脚の裏側には作者名と思われるサイン"LUKE"が彫られている。年代はいつ頃のものかは分からないけれど、そんなに古いものでは無いような気がする。


そうこうしているうちにまた新たな熊に出会う、今度はシロクマで恐らく樹脂製のもの。オブジェというよりミニチュアトイの類いなのだろうけど、その朴訥とした表情に思わず連れて帰ってきてしまった。




シロクマといえばフランソワ・ポンポンが思い出されるが、こちらのシロクマも樹脂ならではのクリームがかった白がなかなかリアルで、夏の暑い日が似合いそう。

ジギーとグラフが放ったのは確かメガネグマだった。もし森の中でばったり出会うのがそのメガネグマ達だったら、怖がらなくても良いかもしれない。

May 7, 2018

Oni to Kami


フリーダとディエゴのコレクションを見てメキシコにも2本の角を持つ鬼に似たDiablo(悪魔)やJudas(ユダ)なるものが存在することを知った。このユダ(裏切り者)と悪魔はセマナ・サンタ(イースター)祭では巨大な張り子(パペルマチェ)で作られ、祭りの最終日に燃やされるらしい。(映画の「フリーダ」にも角のある人間ほどの大きな張り子を抱えてるシーンがあったが、あれがユダか悪魔のどちらかだったのだろう。)面白いのはこれらの張り子は燃やされるばかりではなくフォークアートとして評価される一面も持ち合わせている事で、そういった意味でも日本の鬼と共通する部分が多い。

日本で鬼というと赤鬼や青鬼を思い浮かべるが、我が家にはそんなイメージとは少々異なる鬼がいる。


黒々と広がる羽のように目の周りを覆う眉毛、大きな鼻と口と牙、更には角張った大きな顎には隈取りのように赤と黒の線が描かれ、その顔つきは威圧的で迫力満点だ。が、頭部に目を向けてみるとそこには赤と黒のポップなドット柄が配されていて、怖がるべきか微笑むべきかなんとも不思議な気分になる。


インパクトのある表情を頼りに正体を調べてみると、これは備中神楽で使用される建御名方神(たけみなかたのかみ)の面であり、建御名方神とは古事記の「国譲り」神話に登場する大国主神の子の一人である。
ちなみにその父親の大国主神というのは因幡の白兎に出てくる「だいこくさま」の事で、かの出雲大社の祭神でもある。ところが調べてみるとこの呼び名については複雑な部分があるらしく、出雲大社のH.P.にも大国主神は”だいこくさま”とも呼ばれる神ではあるが仏教からきた”大黒天”とは「正確には別の神様」だとわざわざ説明されている。確かに神道と仏道は異なるものなので正確に同じ神様とはならないのだろうけど、実際には神仏習合して大国主神と大黒天が同一視される事も多いようだ。
更には同じ国譲りに登場する事代主神(ことしろぬしのかみ)も大国主神の子であり、神話の中で漁に出ていた事から釣り竿と鯛を持つ漁業の神”えびすさま”と同一視される事も多いらしい。よって、だいこく様を大国主神、えびす様を事代主神として祀っている神社も実際に存在している。(えびす様を少彦名命とすることもあるらしい)
ここである何かに気づいてしまった。そうなのだ、事代主神=えびす様、大国主神=だいこく様と考えると「コンビ」だと信じて疑わなかった大黒天と恵比寿天は「親子」だという事になる・・・。



衝撃の結果はさておき建御名方神の面を詳しく見てみると、どのアングルから見ても確かに迫力満点なのだが同時にその表情にはどこかしら愛嬌がある。備中神楽で使用される他の面も表情は様々だが、こんなにも派手なのは建御名方神だけのようだ。なぜ一人だけこんなにも派手なのか、なぜ縞と水玉なのか(水玉のない建御名方神面もある)、知れば知るほどに次から次へと疑問が湧いてくる。そして中でも最大の疑問は、どうして建御名方「神」なのに鬼の面なのかという事。
秋田のなまはげのように来訪「神」でありながら「鬼」の容姿であったり(これにも諸説あるようだ)、風神雷神など「神」と「鬼」が密接に関わっている事は意外と多い。だがこれらにも様々な見解があるようで簡単には知りたい答えに辿り着きそうにもない。来年の事でも鬼に笑われてしまうけど、いつかこれらの課題に自分なりの解釈を見つけたいと思う。



Mar 19, 2018

Diego, Frida and Mexico

フリーダ・カーロといえば次に思い浮かぶのはディエゴ・リベラだ。我が家には彼らの作品集では無く、彼らの「蒐集品」の図版がある。『La colección de arte popular del Museo Estudio Diego Rivera y Frida Kahlo』


Books & Thingsで購入した当初は出版元が美術館と聞いて、てっきりフリーダのブルーハウス(Museo Frida Kahlo)の事だと思い込んでいた。
が、後でじっくり表紙を見てみるとブルーハウスではなくサンアンヘルにあるMuseo Casa Estudio Diego Rivera y Frida Kahloだった、初耳だ。早速調べてみると、その名の通りフリーダ・カーロとディエゴ・リベラのアトリエ兼自宅だった所で1932年に完成している。設計はメキシコ国立自治大学の中央図書館のあの巨大な壁画を担当したファン・オゴルマンで、1905年生まれのオゴルマンにとっては27歳前後で手掛けた作品であり、中央図書館の完成が1954年頃なのを考えると2人はとても早い段階で彼の才能を見出していた事になる。


残念ながらこの図録に建物の外観は掲載されていないが、ネット上でユニークな3棟の建物(フリーダ、ディエゴ、そしてファン自身のもの)を探すのは容易で、それぞれの異なるデザインには思わず目を奪われる。フリーダのアトリエ(ここも外壁は青色だ)とディエゴのアトリエ(外壁は赤と白のツートンで屋上はギザギザになっている!)は互いが行き来できるように屋上で繋がっているらしく、映画「フリーダ」でも実際にこの建物が撮影に使用されているそうだ。サルマ・ハエックのフリーダ役がとてもハマリ役だったのは強烈に覚えているのだけれど・・・ああ、もう一度観なければ。

現在この美術館にはフリーダとディエゴの蒐集品が展示されていて、その中から厳選されたものがこの図版に掲載されている。生命の樹、ガイコツ人形、陶器や土人形等どれも素晴らしく、掲載されているものの多くがメキシコのフォークアートだ。巻末にはそれぞれの作者(ほとんどが不明)やサイズ、材質も細かく掲載されていて資料としてもとても見応えがある。また蒐集品と関連した絵画作品も並んで掲載されている点も面白いのだが、何故か全てディエゴの作品でフリーダの作品は掲載されていない。




確かフリーダが生まれ、死を迎えたのはブルーハウスであり、石内都さんが遺品の撮影で訪れていたのもブルーハウスだ。アトリエに立つディエゴの笑顔が掲載されている事を考えても、この図版に掲載されているものはディエゴにちなんだものが中心と考える方が自然ということだろうか。ただフリーダのブルーハウスにも同じくメキシコのフォークアートが多数展示されているのは有名でその様子を見ても、2人のモノを選ぶ時の好みや感覚が非常に近く、同時に2人がメキシコをとても愛していた事は十分に感じ取れる。





アトリエにて蒐集品と自作"Retrato de Jose Antonio del Pozo"の前で笑顔のディエゴ。好きなものに囲まれて、いい顔してる。

Feb 12, 2018

It's a small world

我が家には昔からカブラの形をした小皿がある。要はカブラの白い根の部分が容れ物で葉の部分が持ち手になっている、よく見かけるタイプのものだ。その役割は主に生姜や大蒜のみじん切りを入れたり味見したりと、どちらかというと食卓よりも台所で見かけることが多い。他の小皿でも全く支障は無いのに、棚の奥にあってもわざわざ取り出すのは、カブラの小皿を使うと料理が美味しくなる気がするからかもしれない。

カブラに限らず果物や野菜の形をしたものには不思議な魅力がある。メキシコからやってきたバナナの貯金箱もその一つで、視界に入ると思わず口元が緩んでしまう。
メキシコで果物や野菜といえばペーパーマッシュ(インドやメキシコで作られる張子のようなもの)が連想されるけれど、これは陶製のもの。しかも根元が輪になっているので何処かに引っ掛けたり吊るしたりできる仕様になっているが・・・今のところその使途は不明。それにしても肝心のお金を入れる部分はかなりラフで、刃物跡もくっきりと見て取れるほどだ。

さてバナナの次はみかんの貯金箱、これは日本のもの。
表面のブツブツや(油胞というらしい)葉の具合など丁寧に作られていて日本らしい真面目さが漂う。


その他に桃とトマトとりんごも。これらはどれも貯金箱では無く、プラスチックが主流になる以前の陶製の玩具。色付けのグラデーションも美しくリアルさも増しているので、みかんの貯金箱とは年代や種類が異なるものと思われる。

日本とメキシコ、それぞれに作られた果物モチーフの貯金箱を見ていると、
言葉や気候が異なっていても人が思いつくのは同じような事であると教えてくれる。物を集める中で時々こうやってトランプゲームのように国境や時代を越えた共通項を見つけるのはとても楽しく、またしても口元が緩む。サイズ感も同じなので並べてみても違和感は全く無い。


メキシコといえばフリーダ・カーロが最初に思い浮かぶが、そういえばフリーダの作品には果物が頻繁に登場するし、彼女の最後の作品はスイカの絵だ。
スイカの貯金箱だとなかなか貯まりそうに無いので、出会える確率は低いかもしれない。