Dec 6, 2020

The Best Offer

それまでさして興味が向かなかったものに対して突然自分のアンテナが反応する時がある。今回がまさにそれだった。

ポートレートに関しては写真であれば好きだけど、絵画になると手に入れようとは全く思わなかった、これまでは。


なのに目の前には気難しそうに座るおじさんの人物画がある。描かれた本人はこちらを見ているわけでもないので、ポートレートと言うより電車の向かい側にたまたま座っているおじさんのスケッチといった感じだ。我ながら何故これに反応したのか良く分からないのだけれど、やはり何度見ても良いなと思う、この絵にはそんな不思議な引力がある。




作者はFritz Trögerというドイツ人の画家で、他の作品について調べてみるといくつか作風に種類があるものの、描かれているのは郊外の風景や働く人々の様子やその人そのものであり、一貫して市井の人々とその日常が切り取られている。

昔からストリートスナップのような視点が好きなので、作者のそういった感覚に今回アンテナが反応したのならそれはとても嬉しい発見だ。






前に観た映画『鑑定士と顔のない依頼人』では高価な肖像画に囲まれて暮らす主人公が登場する(この主人公もかなり気難しそうなおじさんだ)。彼のように肖像画ばかりに囲まれる暮らしは想像出来ないけれど、少しぐらいなら良さそうだと思い始めている。



Sep 6, 2020

Stand by Me

この8月も暑かった。しかも今年は気軽に出かけられないという事情も加わり、否が応でも家に居る時間が長くなっている。

猛暑日の様子を伝えるラジオを消すと窓の外から蝉の大合唱が聞こえてきた。絵に描いたような夏空は空調が効いた部屋でも熱気を感じさせて、もう何もする気が起きない。こんな時は観念して映画を見るに限るのでタブレットを開いて『スタンド・バイ・ミー』を見ることにした。


1986年公開のこの映画をこれまで何度観たことだろう。細かい内容まで映像付きで覚えているくせに、それでもまた選んでしまうのは、この作品に登場するものが自分の中にある懐かしい記憶に触れる気がするからかもしれない。


夏の冒険、ジーンズと白いスニーカー、疎遠になった旧友との思い出、焚き火と空想話、怖いおじさんと犬…etc. 主人公と仲間たちのように「あるもの」を探して旅をした経験は無いし、そもそも設定は50年代のアメリカだし、本物の蛭も見た事は無い。けれどもこの物語が映す心情や光景に何処か懐かしさを感じてしまうのだ。


真っ直ぐに伸びる線路のカットから彼らの冒険は始まる。そのレールはこの物語だけでなく、この先も長く続く彼らの未来を表しているようにも見える。この旅が終わってしまうとそれぞれの人生に向かってレールは分岐し、やがて全く違う景色となる。そう思って映画を見てみるとこの作品における線路の存在はなんとノスタルジックなのだろう。過去を振り返って語る主人公の視線は、最後尾の車両から遠ざかる線路と景色を眺める時の感覚に似ているのかもしれない。



鉄道レールが記念品として配布される事があると知ったのはこのカットレールを手に入れた時だった。鉄やベークライトの塊に弱く、これが何かも知らずに手に入れた後に廃線記念等で販売されていると知ったのだ。それにしてもレールにまで愛を注ぐとは、鉄道愛好家の守備範囲の広さと深さに感動と尊敬を抱かずにはいられない。


しかし今回手に入れたものに関しては記念の刻印等は無く、更には塗装までされているので出自は全く不明だし、カットレールとして相応しいカタチかどうかも怪しい。けれども自分にはその方が都合が良い、ノスタルジックすぎるのは性分では無いのだ。


Jul 5, 2020

2001: A Space Odyssey

ハーディ・エイミス(Hardy Amies) と聞いて思い浮かべる事は人それぞれだろう。
メンズのファッションデザイナーという人もいるだろうし、英国女王御用達のドレスメーカーという人、もしくはサーの称号を持つデザイナーという人もいるに違いない。エイミス氏を形容する言葉は様々だ。

個人的に真っ先に思い浮かぶのはそのどれでもなく『ABC of Men's Fashion』の著者という事。



我が家にあるその本は尊敬する師匠に頂いた思い出の品で、2007年にロンドンにあるV&Aがエキシビジョンを開催した際に装丁を変え再販されたバージョン。ブルーの表紙が印象的なこの本を開くと、奥付には1964年と記されていて初版本は今から50年以上も前に出版されていた事が分かる。
その内容は当時Esquire誌に連載していたコラムがまとめられたもので、AからZまでピックアップされた単語それぞれに英国紳士たる為のルールや解説が掲載された教則本なのだが、”Accessories”から始まる頁を辞書片手に読み進めると、所々に興味深い項目がある事に気付かされる。
”F”の”カテゴリーを見てみると”Fashion”の次に取り上げられているのは”Fat Man”だし、”H”のカテゴリーには”Hips”もある。例えば”Purple”についてのコメントは次の通りだ。

"I can see no use for this handsome, not unmasculine colour except for ties, socks and handkerchiefs. If you know to wear them you don’t need my help. If you don’t, don’t.” 
要約すると「パープルという色はネクタイや靴下、ハンカチ以外には使いようがない(使うのが難しい)色で、もしあなたがこの色を着こなせるならば私の助けは要らないだろう。」といったところか。

もちろんパープル以外の色についても言及されていて、それぞれに合う髪の色等が細かく指南されている。単なる紳士服の基本的知識だけではなくエイミス氏の哲学も盛り込まれているのが本書の魅力なのだろう。

これまでの話の流れからメンズデザイナーとしてのイメージが強いエイミス氏だが、実は彼の出発点はレディースにある。
ロンドンのサヴィルロウにレディースオートクチュールのファッションハウスを開店したのが1946年で、そのたった9年後の1955年にはエリザベス2世からロイヤルワラントを授与され(それは1990年まで続いた)、1989年にはナイトの称号も与えられている。彼がメンズラインを発表したのは1959年頃で、以降2001年に引退するまでメンズ・レディースの両方をデザインしていたわけだが、当時は今と違ってレディースもメンズも同じ人物がデザインするのはとても珍しかっただろうから、彼のチャレンジと成功は業界でも大きな話題になったに違いない。

加えてエイミス氏はワールドカップやオリンピックのユニフォームデザインも手掛けておりイギリスを代表するデザイナーであった事は周知の事実だが、彼がデザインした作品について語る時、忘れてはならないのがスタンリー・キューブリック監督の『2001 年宇宙の旅』の衣装デザインだろう。

それは何度見ても目を奪われる映像作品で、セットも小道具も音楽もどれも隅々まで美しく(宇宙ステーションで使われる椅子はオリヴィエ・ムルグのジンチェアだし、宇宙食を食べる時に使われていたカトラリーはアルネ・ヤコブセンデザインのジョージ・ジェンセンだ)、登場人物が着る服も同様に美しい。ただ男性の着るスーツもはネクタイはしていないもののある意味とても英国的でさほど珍しいデザインではないし、船外で活動する宇宙服もデザインよりむしろ鮮やかな色使いの方が印象的だった。それに比べて女性が着ているものはどれも斬新で、特にシャトル内の無重力空間に漂うペンを拾うシーンでのキャビンアテンダントが着ているスーツと帽子のデザインはとても印象的だ。そう、さすがオートクチュリエである。


さて、このブログを書くにあたって何度目かの鑑賞をした際、これまでさほど気にならなかったフレーズに耳が反応してしまった事を報告したい。それは月で発見したモノリスの調査を極秘に行う為にソ連の科学者には感染症が発生したというデマを流して遠ざけた場面だ。
この作品が公開された1968年にも存在し、描かれた2001年にも更には現代の2020年も変わらず人類は感染症の脅威に怯えている。この事実について思う時、冒頭に登場するモノリスに怯える猿人を何故か思い出してしまうのだ。

Apr 18, 2020

Big Fish


映画「BIG FISH」ではいくつかのFISH TALE(ホラ話)が語られる。
中でも好きなのが沼地のそばに住む魔女の話で、魔女の眼帯の奥の眼を覗くと自分の死ぬ場面が映されるというものだ。
もし自分の死ぬ場面を本当に見てしまったら同時に死ぬタイミングも分かるので便利なのだろうけど、その瞬間を脳裏に抱えたまま生きるのもそれはそれで大変だから、もし沼の魔女に会ったとしても挨拶だけで済ませたいと思う。

物語の中にさらに物語があるのを劇中劇だとか入れ子構造と言うらしい。そして入れ子といえば、やはりマトリョーシカだ。



ボーリングのピンみたいな不思議なシルエットでも坂本龍馬だと分かってしまったこのマトリョーシカは4層構造で、龍馬の他にも3人入っている。
1人ずつ見てみよう。



まずは坂本龍馬。右手を懐に入れたお決まりのポーズと背中には「組あい角に桔梗紋」の家紋。そして近江屋事件の時に言ったという「ほたえな(土佐弁で騒ぐな)」の言葉が書かれている。




次は眼鏡をかけた和装の紳士、背中には「バカヤロー」の文字。吉田茂だ。

と、ここまではすんなり誰だか分かったのだが、あとの2人が分からない。



3人目は派手な赤のジャケットを着た紳士、頭には帽子?なのかサイドとトップで御髪の様子が異なるように見える。足元に目をやると潮を吹く鯨のイラストと「FREEDOM」の文字。左手に持っているものに書かれた文字は「ABC」のように見える。が、これだけでは人物像を絞ることは出来ず、結局困り果ててinstagramで意見を聞いたりしてアメリカのドナルド・トランプ氏が候補に上がったものの、鯨との関連性が分からず結論は出ず。



そしてラストを飾る4番目の男が、この方。
グレーのスーツを着て背中には「DAICHAN」の文字。が、果たして彼が何者なのかまたもや判明せず…。橋本大二郎氏では?との意見もあったが、それも確信は持てないままだ。

何れにせよ第3の男も第4の男もおそらく政治に関連した人物であると思われる。いつか判明することが有ればここに追記したい。

なんともすっきりしないまま彼らは我が家のダッシュボードに今日も並んでいる。
いつの日か彼ら全員の正体を知りたいとは思うがもしこのまま分からなくても、それはそれで良いのかもしれない。そう「BIG FISH」も真実とホラ話が入り混じったままだった。

マトリョーシカと言えば1番小さなものに願い事をかけて重ねるとその願いが叶うそうだ。
ならば世界に蔓延するあのウィルスの終息を切に願って重ねてしまおう、誰もが普通の生活に戻れるように。


Feb 9, 2020

Forget you not

気がつけば2020年はとっくに始まっていて、もう2月になってしまった。

ゆく年もくる年もあまり実感のないまま過ぎてしまい、今頃になってスマートフォンに保存している2019年の画像を見返したりしている。音楽や香りも記憶を呼び寄せるきっかけにはなるけど、画像や映像のダイレクトさには敵わない気がする。2019年に撮った記録を見ているとその時の肌感覚まで強烈に思い返すものもあれば、すっかり消え去っていた記憶を連れ戻してくれるものもある。

記録に関するものといえばこんなものがある。



13.5x18.0cmの用紙に「旅の記録」というタイトル、楽しげなイラストは柳原良平氏によるもので、この他にもいくつかの場面が描かれている












これは富士フイルムが一般家庭用に開発した8mm映画の規格「シングル-8」システム用のカメラ及び周辺機器の販促品で、要は映画撮影時のタイトルバックらしく、当時のイベントがタイトルと共に描かれている。現代だとハロウィン辺りが採用されても良さそうだが、これが描かれた頃はきっとハロウィンだなんてテレビの向こう側の出来事で、まさか何十年後に渋谷のスクランブル交差点があんな騒ぎになるだなんて考えてもいなかっただろう。初詣のお母さんらしき人や花嫁の衣装も和装だったり、冬のレジャーもスノーボードでは無くスキーであるところなど、シンプルな構図の中からも時代性が見て取れる。



同封されている「タイトルの撮影法について」という説明書を読んでみると、確かにフジカシングル-8やフジクロームRT200という単語が登場する。富士フイルムのH.P.によるとシングル-8システムの発表とフジカシングル-8の発売は1965年、フジクロームRT200が発売されたのが1973年なので、この販促品もその前後に制作されたものと思われるが、もしかすると周辺機器が新発売される毎に説明書だけ改訂されていたのかもしれない。
また柳原氏と言えばサントリーのトリスシリーズが有名だが、サントリーの嘱託となり広告制作会社サン・アドを設立したのが1964年なので、サントリー以外の仕事を精力的にこなしていた頃ではないだろうか。



タイトルバックは全部で10種類あり、そのうち1枚は吹き出しがブランクになっていて「タイトル名を自分で書き入れてあなただけのタイトルとして利用して下さい」という気配りもきちんとなされている

柳原氏が描いたサントリー天国の表紙や山口瞳氏を初めとする書籍の装丁に使われた色は少しトーンを落とした色が多いのだが、これに関しては色がほぼ青・赤・黄・緑・紫・ベージュ・白のみで構成されてパキッと明るく、どこかディック・ブルーナ作品を連想させる。調べてみるとディック・ブルーナ氏と柳原良平氏は4歳違いのまさに同世代、そして「ちいさなうさこちゃん」の翻訳本が福音館書店から出版されたのはシングル-8システムが発表される前年の1964年である。当時の流行だったのか、メーカー側の指定だったのか、はたまた柳原サイドの発案だったのかは分からないが、真実はどうであれ妄想を巡らせるだけでも楽しい。更には旅の手段として描かれているのが柳原氏の代名詞である船(頭上には飛行機も)だというのも嬉しいポイントだ。

今ではスマートフォンでも高画質の画像や映像を残すことができるが、ビデオカメラが登場するまでは8mmが主流であり、フジカシングル-8のコマーシャルは誰にでも簡単に取り扱えるという意味で「私にも写せます」がキャッチフレーズだったそうだ。当時8mmカメラを手に入れて日常を撮影した人々が投影された映像を眺める表情と今私たちがスマートフォンに残した記録を眺める表情はきっと同じに違いない

いつの時代も人は記録することを望み、記録の残し方は人ぞれぞれだ。
入念に準備をして撮ったものも良いが、何気なく残した画像や映像が後になって思いがけずとても大切になる事もある。

忘れないために、いつでも思い出せるように、記録することを私たちはやめないのです。