Sep 6, 2020

Stand by Me

この8月も暑かった。しかも今年は気軽に出かけられないという事情も加わり、否が応でも家に居る時間が長くなっている。

猛暑日の様子を伝えるラジオを消すと窓の外から蝉の大合唱が聞こえてきた。絵に描いたような夏空は空調が効いた部屋でも熱気を感じさせて、もう何もする気が起きない。こんな時は観念して映画を見るに限るのでタブレットを開いて『スタンド・バイ・ミー』を見ることにした。


1986年公開のこの映画をこれまで何度観たことだろう。細かい内容まで映像付きで覚えているくせに、それでもまた選んでしまうのは、この作品に登場するものが自分の中にある懐かしい記憶に触れる気がするからかもしれない。


夏の冒険、ジーンズと白いスニーカー、疎遠になった旧友との思い出、焚き火と空想話、怖いおじさんと犬…etc. 主人公と仲間たちのように「あるもの」を探して旅をした経験は無いし、そもそも設定は50年代のアメリカだし、本物の蛭も見た事は無い。けれどもこの物語が映す心情や光景に何処か懐かしさを感じてしまうのだ。


真っ直ぐに伸びる線路のカットから彼らの冒険は始まる。そのレールはこの物語だけでなく、この先も長く続く彼らの未来を表しているようにも見える。この旅が終わってしまうとそれぞれの人生に向かってレールは分岐し、やがて全く違う景色となる。そう思って映画を見てみるとこの作品における線路の存在はなんとノスタルジックなのだろう。過去を振り返って語る主人公の視線は、最後尾の車両から遠ざかる線路と景色を眺める時の感覚に似ているのかもしれない。



鉄道レールが記念品として配布される事があると知ったのはこのカットレールを手に入れた時だった。鉄やベークライトの塊に弱く、これが何かも知らずに手に入れた後に廃線記念等で販売されていると知ったのだ。それにしてもレールにまで愛を注ぐとは、鉄道愛好家の守備範囲の広さと深さに感動と尊敬を抱かずにはいられない。


しかし今回手に入れたものに関しては記念の刻印等は無く、更には塗装までされているので出自は全く不明だし、カットレールとして相応しいカタチかどうかも怪しい。けれども自分にはその方が都合が良い、ノスタルジックすぎるのは性分では無いのだ。