ハーディ・エイミス(Hardy Amies) と聞いて思い浮かべる事は人それぞれだろう。
メンズのファッションデザイナーという人もいるだろうし、英国女王御用達のドレスメーカーという人、もしくはサーの称号を持つデザイナーという人もいるに違いない。エイミス氏を形容する言葉は様々だ。
個人的に真っ先に思い浮かぶのはそのどれでもなく『ABC of Men's Fashion』の著者という事。
我が家にあるその本は尊敬する師匠に頂いた思い出の品で、2007年にロンドンにあるV&Aがエキシビジョンを開催した際に装丁を変え再販されたバージョン。ブルーの表紙が印象的なこの本を開くと、奥付には1964年と記されていて初版本は今から50年以上も前に出版されていた事が分かる。
その内容は当時Esquire誌に連載していたコラムがまとめられたもので、AからZまでピックアップされた単語それぞれに英国紳士たる為のルールや解説が掲載された教則本なのだが、”Accessories”から始まる頁を辞書片手に読み進めると、所々に興味深い項目がある事に気付かされる。
”F”の”カテゴリーを見てみると”Fashion”の次に取り上げられているのは”Fat Man”だし、”H”のカテゴリーには”Hips”もある。例えば”Purple”についてのコメントは次の通りだ。
"I can see no use for this handsome, not unmasculine colour except for ties, socks and handkerchiefs. If you know to wear them you don’t need my help. If you don’t, don’t.”
要約すると「パープルという色はネクタイや靴下、ハンカチ以外には使いようがない(使うのが難しい)色で、もしあなたがこの色を着こなせるならば私の助けは要らないだろう。」といったところか。
もちろんパープル以外の色についても言及されていて、それぞれに合う髪の色等が細かく指南されている。単なる紳士服の基本的知識だけではなくエイミス氏の哲学も盛り込まれているのが本書の魅力なのだろう。
これまでの話の流れからメンズデザイナーとしてのイメージが強いエイミス氏だが、実は彼の出発点はレディースにある。
ロンドンのサヴィルロウにレディースオートクチュールのファッションハウスを開店したのが1946年で、そのたった9年後の1955年にはエリザベス2世からロイヤルワラントを授与され(それは1990年まで続いた)、1989年にはナイトの称号も与えられている。彼がメンズラインを発表したのは1959年頃で、以降2001年に引退するまでメンズ・レディースの両方をデザインしていたわけだが、当時は今と違ってレディースもメンズも同じ人物がデザインするのはとても珍しかっただろうから、彼のチャレンジと成功は業界でも大きな話題になったに違いない。
加えてエイミス氏はワールドカップやオリンピックのユニフォームデザインも手掛けておりイギリスを代表するデザイナーであった事は周知の事実だが、彼がデザインした作品について語る時、忘れてはならないのがスタンリー・キューブリック監督の『2001 年宇宙の旅』の衣装デザインだろう。
それは何度見ても目を奪われる映像作品で、セットも小道具も音楽もどれも隅々まで美しく(宇宙ステーションで使われる椅子はオリヴィエ・ムルグのジンチェアだし、宇宙食を食べる時に使われていたカトラリーはアルネ・ヤコブセンデザインのジョージ・ジェンセンだ)、登場人物が着る服も同様に美しい。ただ男性の着るスーツもはネクタイはしていないもののある意味とても英国的でさほど珍しいデザインではないし、船外で活動する宇宙服もデザインよりむしろ鮮やかな色使いの方が印象的だった。それに比べて女性が着ているものはどれも斬新で、特にシャトル内の無重力空間に漂うペンを拾うシーンでのキャビンアテンダントが着ているスーツと帽子のデザインはとても印象的だ。そう、さすがオートクチュリエである。
さて、このブログを書くにあたって何度目かの鑑賞をした際、これまでさほど気にならなかったフレーズに耳が反応してしまった事を報告したい。それは月で発見したモノリスの調査を極秘に行う為にソ連の科学者には感染症が発生したというデマを流して遠ざけた場面だ。
この作品が公開された1968年にも存在し、描かれた2001年にも更には現代の2020年も変わらず人類は感染症の脅威に怯えている。この事実について思う時、冒頭に登場するモノリスに怯える猿人を何故か思い出してしまうのだ。