Aug 29, 2018

Die Büchse der Pandora


見てはならない、開けてはならない、というストーリーはかなりの確率でその法度を破る展開となる。
集めてはならない、はまってはならないと思いつつ、とうとう手に入れてしまった、古伊万里の皿である。
まあこの場合は法度というより乏しい知識で手を出すべきではない、とこれまで無意識に圏外扱いにしてきたというのと、我が家で使うイメージが湧かなかったというのが正直なところだ。基本手にした物は飾るだけではなく使いたいので、伊万里や九谷に関してはその美しい様を鑑賞するだけで満足だったのに、それは突然目の前に現れてしまった。


まずこれまでイメージしていた伊万里の絵柄と違った事とその配色に既視感があった事が大きい。好きなブランドのテキスタイルを思い起こさせたこの親近感というのは、遠くの存在だった伊万里をぐんと近くに引き寄せ、気がつけば包みを抱えて電車に揺られていた。


帰って早速調べてみると、全体に描かれている羽根や丸が並んだような絵柄は「瓔珞文」(ようらくもん)と呼ばれるもので、瓔珞とは元はインドの王族が宝石などを連ねて編ん装身具を指す言葉であり、その後仏像や寺院の装飾としても用いられるようになったのだそう(今も仏具で瓔珞というものが存在する)、どうりで華やかなわけだ。また絵皿の中でひときわ目を引く赤い丸は赤玉と呼ばれ瓔珞文とともに吉祥文様らしく、美しい配色に加え左右対称の構図、更には中央に描かれた唐子の存在でなんだか曼荼羅っぽく見えなくも無い。江戸時代の古伊万里だということだったが、構図や配色のバランスを見れば見るほど当時の陶工のセンスに驚かされる。これで次のお正月に使う器が一つ決まった

と、アンテナが圏内になったからか続けて面白いものを見つけてしまった。
表面を埋め尽くすような緑が印象的なこの鉢は、明治あたりの「たぶん」伊万里だろうとの事だったが、売り手のおじさんと色々話しているうちにこれが伊万里でも九谷でもはたまた他の窯のものでもそれは大して重要では無い、何故ならこの絵皿が魅力的だからという結論に至った。

何と言ってもこの緩い描写が魅力だ。まず中央に描かれている動物は恐らく獅子だと思われるのだが、近付けどもあまり獅子っぽさは見出せない。しかもその飄々とした顔つきに加え口元にはレタスのような葉っぱも見受けられる。獅子といえば牡丹が思いつくけれど、まさか・・・。

周囲3箇所に描かれている鳥も頭部のシルエットから鸚鵡(オウム)かと思ったのだけれど、止まっている枝が梅らしきところを見ると鶯のような気もする。伊万里といえばヨーロッパ諸国への輸出用に鸚鵡などの絵柄が好まれたと聞くが、単に鸚鵡を描きたかっただけなのか、はたまたわざと梅に鸚鵡を描いたのか職人の意図は分からないが絵柄から色々と想像するだけでもとても面白い。

さらに外側には吉祥文様とされる蝙蝠と瓔珞までも描かれている。要は全部盛りといったところなのか、兎にも角にも魅力的だ。

2つの(推定)伊万里焼を並べた時に初めてどちらも4つの丸紋を配した意匠だったことに気付いた(サイズもほとんど同じだ)。似て全く非なる2つの器の間でそれぞれの特徴や共通項を見つけては両方を矯めつ眇めつ眺めている、不用意に開けてしまったこの箱にはどうやら「楽しい」が残っていたらしい。