Jun 20, 2017

New Items

ドイツ Arzberg 無地のプレート
フランス Digoin Sarreguemines 小花柄のプレート

リムの色が特徴的な2つのアイテムをachikochiz shopにアップしました。
詳細はこちらからどうぞ。






Apr 30, 2017

Blowin' in the Wind

柳宗理はかつて雑誌『民藝』の「新しい工藝(その後、生きている工藝に変更)」で取り上げた化学実験用蒸発皿について
「ただ実験用に、より使い易くということで、長い間に自然と浄化されて出来上がってしまったと言えましょう。これをアノニマス・デザイン(自然に生まれた無意識の美)と言うのです。(中略)民藝の言う不二の美、絶対の美とは、正にこのような美を指すのではないでしょうか?」と述べている。⁽¹⁾


この連載はケメックスのコーヒーメーカーからジーンズ、はたまたボラード(繫船柱)まで柳宗理が選んだ美しい機械製品について語られているもので、機械工藝と手工藝という、そもそも不要な区別自体を拒否し、良いデザイン、美しいものに対する氏の思いが宣言のように綴られている。それは同時に民藝の未来に対する憂いの表れのようでもあり、機械工藝を否定しがちな『民藝』読者(論者)に対して時には鋭く、時には説き伏せるように新しい視点を執拗なまでに提示し続けていている。

目的に向かって純粋に形作られたもの、で思い出すのがこの鉄の楔で、最初見た時はなんと格好の良い「何か」だと思った。手に取るとその形状から楔というのは想像できたものの、相手が石なのか木なのか分からなかったので調べてみると「木割矢/金矢」という言葉にすぐ辿り着いた。素材等で多少の変化はあれども薪割り用として現在もほぼ同じ形状のものが使われている事からも、これも一つのアノニマス・デザインなのだと思う。

矢羽模様のような溝は本来滑り止めであるのに意図せずデザインのアクセントになっているところも興味深い。

鉄でもう一つ。

茨城の製糸工場のものらしいと売主の方が言っていたので、調べてみると古河で製糸産業が盛んだったらしいので、その辺りのものかもしれない。よく見るとそれぞれに重さを示す数字や印があって、結ばれたままの色糸と錆びた鉄の対比も美しい。錘には鉄以外にも陶製のもの等、用途によって様々な材質があり、また国によっても姿を変えるのでついつい集めてしまうものの一つとなっている。

柳宗理はこの連載でインク壺の容器を取り上げた際には次のようにも語っている。
「さてこの木製の容器は轆轤という機械で造ったものですが、木肌の故か、手工藝的な暖かさを持っております。河井寛次郎さんは機械は手の延長したものであるとよく言われましたが、なるほど、人間が造るものを、手工藝と機械工藝とに分けるのは、素直でないような気がしないでもありません。いずれにせよ、手工藝的製品であれ、機械的工藝品であれ、良いものは良いのであって、その良いという絶対的な美の世界には、手工藝的とか機械工藝的とかいう区別された二元の世界は、自ずと解消されてしまうと言えないでしょうか。」⁽²⁾


この連載は第49回のショルダーバッグで終了するが、読み返す度に情報や知識で凝り固まりそうな頭の窓を全開にして風を運び入れてくれる。余計なフィルターをかけず、良いものは良いというシンプルで一番大切なこの感覚をいつも最前列に置いていたい。

(⁽¹⁾⁽²⁾ 出典:柳宗理 エッセイ(株)平凡社)

Mar 27, 2017

New Items

ノルウェー BERGENのパッチワークペナント
韓国の古いキロギ
アメリカ 1946年のペナント

3点をachikochiz shop にアップしました。
詳細はこちらからどうぞ。





Mar 26, 2017

Tricolore

韓国の縁起物であるキロギは水鳥を模していると言われているが、そのモチーフは鴨や雁等諸説あって詳細は定かでは無い。水鳥が多産であることや1度つがいになると一生添い遂げると伝えられている事から縁起物として現代も結婚式の儀式に使用されているらしく、確かに韓国の土産物店に行くとポップな表情とカラフルなキロギがつがいで売られている。しかしこれまで骨董店などで見かけたキロギはどちらかと言うと1羽のものが多く、更に彩色されていない無地のものが殆どだった。気になって色々調べてみると、水鳥=渡り鳥は陸・空・水を行き来する事から、あらゆる世界、あの世とこの世を繋ぐものとしても捉えられ、昔の儀式ではつがいではなく1羽のキロギが使用されていたらしい。また新旧どちらのキロギにもポジャギのような布が巻かれているものがあるが、古くは本物の水鳥を儀式に使用しており、動かないように布で胴体を包んでいた名残とのこと。


今回見つけたキロギはこれまで見た中で最もインパクトのあるシルエットでしかも赤・青・白に彩色されている。手作業の様子がそこかしこに見受けられ、剥離等が見られる表面の状態から恐らく朝鮮時代のものと思われる。ちなみにキロギで彩色されているものは貴族階級向けで、彩色のない無地のものが庶民向けなのだそうだ。




胴体部分のカクカクした直線のシルエットに対して首から頭は曲線というバランスが面白い。彩色だけではなく単純化された左右の羽模様はとても斬新で、背中部分も羽模様というよりウロコに見えるような気がしないでもない・・・。



色といい模様の描き方といい、とてもユニークで愛嬌がありますが、わずかに首を傾げている後ろ姿はなんとも哀愁を感じさせるのです。

Feb 26, 2017

Fly me to the moon

昨年のこと、偶然見に行く機会に恵まれたエキシビション「旅するルイ・ヴィトン」は隙のない会場構成と惜しみ無く公開された多くの展示品でとても印象に残るものだった。


中でも3代目であるガストン氏(1883-1970)のコレクターぶりはとても興味深く、その蒐集品の幅広さは古いトランクに始まり、トランク製造に関するもの(鉋やハンマー等の道具類)や、送り状、カード、リーフレット、広告などの古い紙、そして日本刀の鍔までと非常に多岐に渡っていて大層面白い。しかもガストン氏は紋章やロゴ、ショーウィンドのデザインまでも手掛けていたそうで、スケッチブックに描き込まれたデッサンや実際の作品を見てみると、彼のセンスとバランス感覚がヴィトン社に大きな影響を与えていた事は容易に想像できる。
アルバム 「空へ、海へ、彼方へ-旅するルイ・ヴィトン展」(ASSOULINE社)より

個人的には氏が世界中から集めたというホテルのステッカーコレクションに夢中で、かなりの時間をその前で費やしてしまった。
ウェス・アンダーソン好きとしては三角型の「GRAND HOTEL HUNGARIA BUDAPEST」が特に気になるところだが、ステッカーと言えばエアラインものも目が離せない。ガストン氏もきっと集めていたに違いない(と思っている)。

  
TCA( TRANS CANADA AIR LINES ) 現在のAIR CANADA
1960年にダグラスDC-8ジェットでの運行を開始の頃のもの
1964年にはエア・カナダに社名変更している

VARIG AIRLINES(2006年に倒産)
ブラジル最古の航空会社で、アントニオ・カルロス・ジョビンの
ジェット機のサンバ ( Samba do Avião )はVARIG社のCM用の楽曲

オランダ KLM ROYAL DUTCH AIRLINES
1950年代のもの
シルエットのモルワイデ図法が粋

日本航空
1954年 初の国際線就航時の記念ステッカー
(東京ーホノルルーサンフランシスコ)

BUTLER AIR TRANSPORT(1934-59)
かつてオーストラリアに存在した小規模な航空会社
青・赤・黄色はどこのステッカーでも登場率が高い

北欧 Scandinavian Airlines System
1950年代のもの
北欧らしい青色が美しい

フランス UAT( Union aéromaritime des transports )1949-1963
1963年に合併し UTA ( Union de Transports Aériens )となり
1990年にAir France傘下となった後、吸収合併の末に消滅
旅行鞄型がキュートな1950年代のもの


そういえばルイ・ヴィトンのエキシビジョンでも旅行鞄型をした広告用のカードがあった。
今でも十分通用しそうな(むしろ欲しい)このカードが1885年のものという事実にも驚かされるが、 UATもLOUIS VUITTONもフランスの企業だという事も見逃せない。

Feb 10, 2017

New Items


バスク模様の平皿、今回はHippolyte Boulenger-Creil-Montereau(イポリット・ブーランジェ=クレイユ=モントロー)とBadonviller(バドンヴィレー)異なる2つの窯の平皿をachikochiz shopにアップしました。
同じバスク模様でもそれぞれの窯によって特徴や違いが見られるのも楽しみの一つです。

詳細はこちらからどうぞ。









Jan 23, 2017

Lewis W. Hine

昨年末、京都 三条にある古書店 Books & Thingsに代済みで取り置いていた写真集を引き取りに行った。必ず好きなものが見つかるこのお店を訪れるのはとても楽しみな事(欲しいものだらけで恐怖とも言える)なのだが、今回は少しだけ緊張も混じっていた。というのも取り置いてもらっていたのがルイス・ハイン(Lewis H. Hine 1874-1940)の作品だったからだ。

今回の作品集はオリジナルのネガを元に印刷されている12枚のポートフォリオであり、書籍の形式では無いだけに作品としっかり対峙出来るという嬉しいもの。
Books & Thingsのブログによると、これを発行した
George Eastman Museum(旧 George Eastman House)が管理しているハインの作品はネガで3,804点、プリントで6,056点にも及ぶそうで、約1万点という膨大な数字は、ハインが「社会派」や「社会改革的」な写真家と形容され、取材や調査、記録する為の手段として多くの写真を撮影していた事をまさに物語っている。それにしてもポートフォリオを収めているこのフォルダー、そっけないスタンプと数字、そしてこの台紙の色という取り合わせがとても恰好良い。

ニューヨークで教師となったハインは学校教育の一環で初めてカメラを手にし、当初はアメリカに押し寄せる移民たちをエリス島で撮影していたが、そのうちに児童福祉連盟などの依頼でスラムで暮らす移民や貧困層の暮らしを撮影するようになる。1908年に全米児童労働委員会(National Child Labor Committee)からの依頼で専属カメラマンとなり、低賃金で働かされる子どもたちとその過酷で悲惨な状況を世間に知らせる為に教師を辞してアメリカ中を旅しながら写真を撮る生活を選ぶ。しかしハインが被写体とする子どもたちの姿や劣悪な労働環境の撮影を炭坑や紡績工場などの経営者たちが快く思うはずもなく、身分や目的を偽って潜り込んだり、時には暴力や危険な目にもあったらしい。撮る方も命がけだったのだろう。
Young Messenger Boy on bicycle.c.1913.

Bowling Alley Pin Boys. 1 a.m. (1910)

このボウリング場で働く少年たちの写真には説明文があり、地下のボウリング場で毎晩働いている3人の少年たちは、ボスによって撮影現場から締め出されていた。といった内容になっている。撮影用にポーズをとっていないのでもしかすると隠し撮りのような手法で撮影されたものなのかもしれない。
ハインが撮影した数多くの働く子どもたちの写真は結果アメリカ社会に大きな衝撃を与え、児童労働禁止へと世論を動かすきっかけとなる。(過酷な労働をする子どもたちを捉えたハインの作品については、あすなろ書房から発刊されている『ちいさな労働者(KIDS AT WORK)ー写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち』に詳しく書かれています。)

全米児童労働委員会の専属カメラマンを約10年続けた後、ハインはアメリカの産業を支える男性や女性労働者のポジティブな姿をカメラに収めるようになり、1930年には当時世界一高い建物となるエンパイヤ・ステート・ビルの建設現場での撮影を始め、それらの作品は代表作「Men at Work」として刊行される。
Boiler Maker. n.d.

キャリア後半の作品はこういった大きな機械と人間との構図や地上数百メートルの高さの建設現場の梁でずらりと並んで休憩する労働者の姿など明るく力強いものが多く、技術革新と人間の能力に驚きと尊敬の念を抱きながら撮影している様子が伝わってくる。

ハイン作品に映る人々はまるで肖像画のようにこちらを見ているものが多く、特に子どもたちの真っ直ぐなその目は見るものに何かを問いかけているようで緊張を要する。
Undernourished boy in rural school in mountains of Kentucky receiving milk supplied by Red Cross. Also, Victim of Drought 1933.

Naval Reserve Training Station, Pelham Bay Park, New York. 1917.

なのでハインの作品を前にするといつも背筋がぐっと伸びる。悪い気はしないけれど。