ドイツのWMF(ヴェーエムエフ)から2品。
球体が美しいガラスベース、デザインと機能性を併せ持った塩胡椒入れ(マックス&モーリッツ)。
以上2点をachikochiz shopにアップしました。
なにとぞ、なにとぞ。
Jul 25, 2016
Jul 6, 2016
Euskal Herriko sukaldaritza tradizionala
achikochizのバイヤー"A"が集めているフランスのバスク模様の古いうつわ。
数年前に"A"宅を訪れた時点でも既になかなかの種類と量でしたが、ブログや本人の話から察するにその後もコレクションは順調に増え続けているようで、日々愛用する様子は"A"のインスタグラムでも公開され、飽きのこない不思議な魅力を確認することができます。
赤と青のラインというシンプルな構成にも関わらずその種類は驚くほど豊富で、"A"が次にどんなものを探し出してくるかも密かな楽しみとなっています。
そんな"A"のコレクションの一部がこの度、誠文堂新光社より発売された
「バスク料理大全 Euskal Herriko sukaldaritza tradizionala」に
コラムと共に掲載されました。
そんな"A"のコレクションの一部がこの度、誠文堂新光社より発売された
「バスク料理大全 Euskal Herriko sukaldaritza tradizionala」に
コラムと共に掲載されました。
またachikochiz.comで取り扱っていた深皿とデザート皿もレシピの頁にてご使用いただいています。
この書籍では「スペイン・バスク」と「フランス・バスク」それぞれの「山バスク」と「海バスク」のレシピが約100点掲載されている上に、バスク地方の風土や食文化にまつわる興味深いコラムも掲載されていて、レシピ本としてだけでは無く読み応えもある一冊にもなっています。おかげでこれまで漠然としていた「バスク」が突如として身近なものになり、いつか行ってみたい場所から必ず行きたい(食べたい)場所になってしまった。
タイトルにあるEuskal Herriko(エウスカル・エリア)はバスク語での「バスク地方」という意味だそうで、独自の言語を持っているのもとても興味深い点です。偶然にも最近読んだ「暗幕のゲルニカ」(原田マハ著・新潮社)にバスク人(ここではスペイン・バスクの人々のこと)に関する会話のシーンがあり、中でも「彼らはスペイン人じゃない。どこまでもバスク人なんだ。」という一文がとても印象的で、こんなに強い言葉で表現されるバスクの土地と人々とは一体どんなだろうと思いを巡らしていたところでした。
我が家でも愛用しているバスク模様のうつわですが、ここ最近は赤・青・白の3色以上に色を持って見えるのはきっと気のせいではないと思います。
我が家でも愛用しているバスク模様のうつわですが、ここ最近は赤・青・白の3色以上に色を持って見えるのはきっと気のせいではないと思います。
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Jun 25, 2016
Bakelite
ビリヤード、ダイスゲーム、麻雀。
どれもプレイヤーには向いていないが、その音を聴くのは好きだ。
緑色の羅紗の上でボールやダイス、または牌がたてる音はコロンでもコトンでもなく、ゴロンやドスンという低くて深みのあるもので、もしそれらがベークライト製であるならば尚更である。
ベークライト(フェノール樹脂)は1907年にレオ・ヘンドリック・ベークランド氏が開発した最初の人工的なプラスチック素材で、現在主流となっているプラスチックはベークライトから派生、開発されたものと言える。
今でこそ大部分が新しいプラスチック素材に取って代わられてはいるが、シャネルのバングルに代表されるようにアクセサリーに使用されたり、ボタンやカメラ、黒電話など当時は様々なものがベークライト製であった。(ビリヤードのボールはかつて象牙で作られておりその入手に関する問題で象牙からセルロイド、ベークライトへと変遷し、現在は硬質プラスチック製が主流となっている。)
現在身の回りにあるプラスチック素材を思い浮かべると、ベークライトがいかに画期的な素材であったことがうかがえる。
またベークライトはプラスチックに比べ重いのも特徴の1つである。
アルミ鍋より琺瑯鍋、12.5オンスより14オンス、と重量(厚み)のあるものが好きなので、ここはやはりプラスチックよりもベークライトということになる。
前置きが長くなってしまったが、古いベークライトのダイスをここに。
1番大きい黄色のもので4.5㎤ &150gと程よい重さ。
このひんやりとした手触りと重みがたまらなく、訳もなく手に取ってしまう。
見た通り、目も数字も何も刻まれていないので厳密にはダイス風なのだが、どこをどう探しても持ち主に博才は無さそうなのでこれぐらいが丁度良いのでしょう。
どれもプレイヤーには向いていないが、その音を聴くのは好きだ。
緑色の羅紗の上でボールやダイス、または牌がたてる音はコロンでもコトンでもなく、ゴロンやドスンという低くて深みのあるもので、もしそれらがベークライト製であるならば尚更である。
ベークライト(フェノール樹脂)は1907年にレオ・ヘンドリック・ベークランド氏が開発した最初の人工的なプラスチック素材で、現在主流となっているプラスチックはベークライトから派生、開発されたものと言える。
今でこそ大部分が新しいプラスチック素材に取って代わられてはいるが、シャネルのバングルに代表されるようにアクセサリーに使用されたり、ボタンやカメラ、黒電話など当時は様々なものがベークライト製であった。(ビリヤードのボールはかつて象牙で作られておりその入手に関する問題で象牙からセルロイド、ベークライトへと変遷し、現在は硬質プラスチック製が主流となっている。)
現在身の回りにあるプラスチック素材を思い浮かべると、ベークライトがいかに画期的な素材であったことがうかがえる。
またベークライトはプラスチックに比べ重いのも特徴の1つである。
アルミ鍋より琺瑯鍋、12.5オンスより14オンス、と重量(厚み)のあるものが好きなので、ここはやはりプラスチックよりもベークライトということになる。
前置きが長くなってしまったが、古いベークライトのダイスをここに。
1番大きい黄色のもので4.5㎤ &150gと程よい重さ。
このひんやりとした手触りと重みがたまらなく、訳もなく手に取ってしまう。
見た通り、目も数字も何も刻まれていないので厳密にはダイス風なのだが、どこをどう探しても持ち主に博才は無さそうなのでこれぐらいが丁度良いのでしょう。
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Jun 12, 2016
May 22, 2016
Lion and Peony
モノと目が合うのはよくある事だが、睨まれる事はそう滅多にない。
なにやら視線のようなものを感じてそちらに目をやると、まるで赤ザクみたいなシルエットをしたアタマがニカっと爽やかにこちらを睨んでいた。
呼ばれるように近づいてみるとアタマの隣には先端に房のついた細長い布があり、ようやくアタマの正体が獅子頭だと気づく。
鼻は割れて欠損しているし、気をつけないと表面の塗料もぽろぽろと落ちてしまうぐらい年季が入っていて、売主のおじさん曰く江戸後期のものではないかとの事だったが結局どこの地域のものかは分からずじまい。
という事で、その後は持ち帰っての調査となった。
映像や画像以外で見た事がないので、獅子舞と言われてイメージするのは赤くて四角い顔に太い眉、金色の大きな目と口を持ち緑の胴体をした一般的なあれである。
それに比べるとこの獅子頭は目鼻や口の造形は共通しているものの、輪郭も丸くて赤色というより黒色であるし1本角まで生えていてどうも様子が異なる。
更には特徴的な耳も見当たらず、そもそも「獅子」なのか?という疑惑さえ持ち上がるものの眉の外側両端に小さな3つの穴が左右対称に開けらており、おそらく耳は別で付けられていたのだろうということで暫定「獅子」の座を獲得する。
蚊帳(胴体部分の布)に関しても同様に随分褪色し破れや穴もあるが、年月を経ても美しかった当時の様子は容易に想像できる、まさに布のチカラ。
詳しく見てみるとおそらく藍染であるその(麻?)布には幾つかの図柄が描かれており、一般的に描かれる巻毛文様(ドーナツのような丸い模様)は唐獅子の毛を表しているそうで、この文様だけで獅子の体を表現していることになるらしい。(暫定から「獅子」確定へ)
両端に大胆に配された渦毛文様だけでなく巻毛文様と対をなすように牡丹も描かれていて、これらが所謂「唐獅子牡丹」であり、獅子頭が一本角を持っている事からも石川県加賀地方の加賀獅子もしくは北陸のどこかの獅子舞ではないかと推測されるに至った。
(もし詳しい方がいらっしゃれば是非ともご教示願います)
獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるそうで、人の頭をパクパクと噛むような仕草にはこういった理由があり、よって悪魔払いや疫病退治等の縁起物とされている。
更にはこれが加賀獅子の場合、この鋭い眼は「八方睨み」と呼ばれるらしく、それを知った瞬間これからも八方に睨みをきかせて良いものや楽しい事を見つけられますようにと、思わず手を合わせ頭を撫でたのでした。
時々口を開けて悪いものを食べてもらおう。
なにやら視線のようなものを感じてそちらに目をやると、まるで赤ザクみたいなシルエットをしたアタマがニカっと爽やかにこちらを睨んでいた。
呼ばれるように近づいてみるとアタマの隣には先端に房のついた細長い布があり、ようやくアタマの正体が獅子頭だと気づく。
鼻は割れて欠損しているし、気をつけないと表面の塗料もぽろぽろと落ちてしまうぐらい年季が入っていて、売主のおじさん曰く江戸後期のものではないかとの事だったが結局どこの地域のものかは分からずじまい。
という事で、その後は持ち帰っての調査となった。
映像や画像以外で見た事がないので、獅子舞と言われてイメージするのは赤くて四角い顔に太い眉、金色の大きな目と口を持ち緑の胴体をした一般的なあれである。
それに比べるとこの獅子頭は目鼻や口の造形は共通しているものの、輪郭も丸くて赤色というより黒色であるし1本角まで生えていてどうも様子が異なる。
更には特徴的な耳も見当たらず、そもそも「獅子」なのか?という疑惑さえ持ち上がるものの眉の外側両端に小さな3つの穴が左右対称に開けらており、おそらく耳は別で付けられていたのだろうということで暫定「獅子」の座を獲得する。
蚊帳(胴体部分の布)に関しても同様に随分褪色し破れや穴もあるが、年月を経ても美しかった当時の様子は容易に想像できる、まさに布のチカラ。
詳しく見てみるとおそらく藍染であるその(麻?)布には幾つかの図柄が描かれており、一般的に描かれる巻毛文様(ドーナツのような丸い模様)は唐獅子の毛を表しているそうで、この文様だけで獅子の体を表現していることになるらしい。(暫定から「獅子」確定へ)
両端に大胆に配された渦毛文様だけでなく巻毛文様と対をなすように牡丹も描かれていて、これらが所謂「唐獅子牡丹」であり、獅子頭が一本角を持っている事からも石川県加賀地方の加賀獅子もしくは北陸のどこかの獅子舞ではないかと推測されるに至った。
(もし詳しい方がいらっしゃれば是非ともご教示願います)
獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるそうで、人の頭をパクパクと噛むような仕草にはこういった理由があり、よって悪魔払いや疫病退治等の縁起物とされている。
更にはこれが加賀獅子の場合、この鋭い眼は「八方睨み」と呼ばれるらしく、それを知った瞬間これからも八方に睨みをきかせて良いものや楽しい事を見つけられますようにと、思わず手を合わせ頭を撫でたのでした。
時々口を開けて悪いものを食べてもらおう。
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May 10, 2016
Apr 18, 2016
1954
1954年が気になる。
というのも、ここ最近気になったものが偶然にも
1954年のものだったから、という単純な理由。
時代はミッドセンチュリーど真ん中、各年それぞれを
クローズアップすれば素晴らしい作品に出会うのは当然、
という事実は今回はそっと横に置かせていただきたい。
その1
SAUL LEITER "Bus, New York 1954"
ソール・ライターは1946年からカラー写真を撮り始めたそうだが
当時はまだモノクロ写真が主流の時代で、カラー写真はあくまでも
記録用という捉えられ方だったらしい。
(カラー写真なんてやめておけと当時の写真家仲間から言われたと
ソール自身も語っている)
ハーパーズ バザー等のファッション誌で活躍しつつも1981年にスタジオを
閉鎖して一線から姿を消したソール・ライター。元々自分の作品を積極的に
発表する事を好まない彼はカラー作品を始め日常的に撮り続けた多くの作品を
あくまでも個人的なものとして世に出さずにいたが、1990年代に入りのちの
ソール・ライター財団ディレクターとなるマーギット・アーブに出会った事で
その膨大なコレクションが発表されることとなる。
初期のカラー作品(1940年代〜1950年代)を集めた写真集"Early Color"が
Steidl社から出版されたのは2006年。出版に尽力されたマーギットさんには
ただただ感謝したい。
それにしてもこの写真集の装丁はデザイン、サイズバランス、質感etc.
全てにおいて完璧で、例えばこの頁のちり(表紙が内側に巻かれている部分)
の赤とバスの車体の赤のなんとも美しいこと・・・。
さすがSteidl社、表紙だけでもずっと眺めていられる。
*ちなみにSaul LeiterとSteidl社については偶然にもそれぞれを扱った
ドキュメンタリー映画が近年製作&公開されている。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
『世界一美しい本を作る男 〜シュタイデルとの旅〜』
その2
GIORGIO MORANDI "Still Life 1954"
これまた愛してやまないジョルジョ・モランディの作品。
昨年末から始まった「終わりなき変奏」展を訪れた際(結局3回行ってしまった)
気づいたら何故かこの作品の前でいつも足が固まっていた。
ルイジ・ギッリに代表されるモランディのアトリエ写真を見ていると
そこには繰り返し描かれた静物画のモチーフとなる缶や壜のオブジェが
棚や床に所狭しと置かれている。しかもその中にはモランディ自身によって
色を塗られたり、オブジェ同士を接合して不思議な形にカスタマイズされたもの
もあって大変興味深い。またそれらに積もった埃は払うことを禁じられていた事や
構図の配置を正確に記録する為、無数のマーキングの跡がテーブルや紙の上に書き
残されていたこと等を知れば知るほど、繰り返し描かれた対象物との果てしない
関係性の深さに圧倒される。
余談であるが「静物画」の表記は英語では"Still Life"(動かざる生命)なのに対して
イタリア語では"natura morta"(死せる自然)とまるで違うのが面白い。
実際モランディの作品も画集によってそれぞれ表記は異なっている。
(以下、現代美術用語辞典から引用)
語源的にはゲルマン語系のstilleven(蘭)、stilleben(独)、still life(英)と、
ラテン語系のnatura morta(伊)、nature morte(仏)の2系統がある。
stilleven(直訳すれば「動かざる生命」)は17世紀中頃オランダで現れた表現であり
事物の静止性という側面を取り上げている。それに対しnatura morta(直訳すれば
「死せる自然」)は18世紀イタリアでの造語であり、当時アカデミズムにより
上位のジャンルとされていた歴史画、肖像画がnatura vivente(生きている自然)
と呼ばれていたのに対して、静物画を蔑視的にこう呼んだのである。
その3
木村伊兵衛「パリ 1954-55」
「木村伊兵衛 パリ残像」展で見たこの作品もまたもや1954年。
壁の赤と緑がまず目に飛び込んでくるが、ペンキ塗り職人の作業エプロンの
白色と梯子の存在がとても印象的な作品である。
木村伊兵衛は1954年に富士フィルムから開発されたばかりのカラーフィルムを
託され初めてパリを訪れているが、当時日本から海外へ渡航するのは容易なこと
ではなく、実際「アサヒカメラ」の編集長から「夢物語かも知れないが外国へ
行く気はないか (以下省略)」と話を持ちかけられたという文章を残している。
(『フォトアート』臨時創刊 木村伊兵衛読本 研光社 1956年 8月)
今回展示されていた当時の作品と「撮影日記」に記された言葉からは、初めて触れる
パリの空気感や人々の内面への新鮮な驚きが現れていて、試行錯誤を楽しみながら
撮影していた様子がうかがえた。
前述のソール・ライターと木村伊兵衛、それぞれが1954年にニューヨークとパリで
色を探して撮影していたと思うとそれだけで楽しくなる。もちろんボローニャでは
モランディが相変わらずオブジェと対話していたであろう。
ついでに1954年の日本での出来事も調べてみたところ、1954年2月30日は鬼太郎
(もちろんゲゲゲの鬼太郎)が墓から生まれた年なのだそうだ。
いずれにせよ1954年は特別な年号になりました。
というのも、ここ最近気になったものが偶然にも
1954年のものだったから、という単純な理由。
時代はミッドセンチュリーど真ん中、各年それぞれを
クローズアップすれば素晴らしい作品に出会うのは当然、
という事実は今回はそっと横に置かせていただきたい。
その1
SAUL LEITER "Bus, New York 1954"
ソール・ライターは1946年からカラー写真を撮り始めたそうだが
当時はまだモノクロ写真が主流の時代で、カラー写真はあくまでも
記録用という捉えられ方だったらしい。
(カラー写真なんてやめておけと当時の写真家仲間から言われたと
ソール自身も語っている)
ハーパーズ バザー等のファッション誌で活躍しつつも1981年にスタジオを
閉鎖して一線から姿を消したソール・ライター。元々自分の作品を積極的に
発表する事を好まない彼はカラー作品を始め日常的に撮り続けた多くの作品を
あくまでも個人的なものとして世に出さずにいたが、1990年代に入りのちの
ソール・ライター財団ディレクターとなるマーギット・アーブに出会った事で
その膨大なコレクションが発表されることとなる。
初期のカラー作品(1940年代〜1950年代)を集めた写真集"Early Color"が
Steidl社から出版されたのは2006年。出版に尽力されたマーギットさんには
ただただ感謝したい。
それにしてもこの写真集の装丁はデザイン、サイズバランス、質感etc.
全てにおいて完璧で、例えばこの頁のちり(表紙が内側に巻かれている部分)
の赤とバスの車体の赤のなんとも美しいこと・・・。
さすがSteidl社、表紙だけでもずっと眺めていられる。
*ちなみにSaul LeiterとSteidl社については偶然にもそれぞれを扱った
ドキュメンタリー映画が近年製作&公開されている。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
『世界一美しい本を作る男 〜シュタイデルとの旅〜』
その2
GIORGIO MORANDI "Still Life 1954"
昨年末から始まった「終わりなき変奏」展を訪れた際(結局3回行ってしまった)
気づいたら何故かこの作品の前でいつも足が固まっていた。
ルイジ・ギッリに代表されるモランディのアトリエ写真を見ていると
そこには繰り返し描かれた静物画のモチーフとなる缶や壜のオブジェが
棚や床に所狭しと置かれている。しかもその中にはモランディ自身によって
色を塗られたり、オブジェ同士を接合して不思議な形にカスタマイズされたもの
もあって大変興味深い。またそれらに積もった埃は払うことを禁じられていた事や
構図の配置を正確に記録する為、無数のマーキングの跡がテーブルや紙の上に書き
残されていたこと等を知れば知るほど、繰り返し描かれた対象物との果てしない
関係性の深さに圧倒される。
余談であるが「静物画」の表記は英語では"Still Life"(動かざる生命)なのに対して
イタリア語では"natura morta"(死せる自然)とまるで違うのが面白い。
実際モランディの作品も画集によってそれぞれ表記は異なっている。
(以下、現代美術用語辞典から引用)
語源的にはゲルマン語系のstilleven(蘭)、stilleben(独)、still life(英)と、
ラテン語系のnatura morta(伊)、nature morte(仏)の2系統がある。
stilleven(直訳すれば「動かざる生命」)は17世紀中頃オランダで現れた表現であり
事物の静止性という側面を取り上げている。それに対しnatura morta(直訳すれば
「死せる自然」)は18世紀イタリアでの造語であり、当時アカデミズムにより
上位のジャンルとされていた歴史画、肖像画がnatura vivente(生きている自然)
と呼ばれていたのに対して、静物画を蔑視的にこう呼んだのである。
その3
木村伊兵衛「パリ 1954-55」
「木村伊兵衛 パリ残像」展で見たこの作品もまたもや1954年。
壁の赤と緑がまず目に飛び込んでくるが、ペンキ塗り職人の作業エプロンの
白色と梯子の存在がとても印象的な作品である。
木村伊兵衛は1954年に富士フィルムから開発されたばかりのカラーフィルムを
託され初めてパリを訪れているが、当時日本から海外へ渡航するのは容易なこと
ではなく、実際「アサヒカメラ」の編集長から「夢物語かも知れないが外国へ
行く気はないか (以下省略)」と話を持ちかけられたという文章を残している。
(『フォトアート』臨時創刊 木村伊兵衛読本 研光社 1956年 8月)
今回展示されていた当時の作品と「撮影日記」に記された言葉からは、初めて触れる
パリの空気感や人々の内面への新鮮な驚きが現れていて、試行錯誤を楽しみながら
撮影していた様子がうかがえた。
前述のソール・ライターと木村伊兵衛、それぞれが1954年にニューヨークとパリで
色を探して撮影していたと思うとそれだけで楽しくなる。もちろんボローニャでは
モランディが相変わらずオブジェと対話していたであろう。
ついでに1954年の日本での出来事も調べてみたところ、1954年2月30日は鬼太郎
(もちろんゲゲゲの鬼太郎)が墓から生まれた年なのだそうだ。
いずれにせよ1954年は特別な年号になりました。
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