Feb 26, 2017

Fly me to the moon

昨年のこと、偶然見に行く機会に恵まれたエキシビション「旅するルイ・ヴィトン」は隙のない会場構成と惜しみ無く公開された多くの展示品でとても印象に残るものだった。


中でも3代目であるガストン氏(1883-1970)のコレクターぶりはとても興味深く、その蒐集品の幅広さは古いトランクに始まり、トランク製造に関するもの(鉋やハンマー等の道具類)や、送り状、カード、リーフレット、広告などの古い紙、そして日本刀の鍔までと非常に多岐に渡っていて大層面白い。しかもガストン氏は紋章やロゴ、ショーウィンドのデザインまでも手掛けていたそうで、スケッチブックに描き込まれたデッサンや実際の作品を見てみると、彼のセンスとバランス感覚がヴィトン社に大きな影響を与えていた事は容易に想像できる。
アルバム 「空へ、海へ、彼方へ-旅するルイ・ヴィトン展」(ASSOULINE社)より

個人的には氏が世界中から集めたというホテルのステッカーコレクションに夢中で、かなりの時間をその前で費やしてしまった。
ウェス・アンダーソン好きとしては三角型の「GRAND HOTEL HUNGARIA BUDAPEST」が特に気になるところだが、ステッカーと言えばエアラインものも目が離せない。ガストン氏もきっと集めていたに違いない(と思っている)。

  
TCA( TRANS CANADA AIR LINES ) 現在のAIR CANADA
1960年にダグラスDC-8ジェットでの運行を開始の頃のもの
1964年にはエア・カナダに社名変更している

VARIG AIRLINES(2006年に倒産)
ブラジル最古の航空会社で、アントニオ・カルロス・ジョビンの
ジェット機のサンバ ( Samba do Avião )はVARIG社のCM用の楽曲

オランダ KLM ROYAL DUTCH AIRLINES
1950年代のもの
シルエットのモルワイデ図法が粋

日本航空
1954年 初の国際線就航時の記念ステッカー
(東京ーホノルルーサンフランシスコ)

BUTLER AIR TRANSPORT(1934-59)
かつてオーストラリアに存在した小規模な航空会社
青・赤・黄色はどこのステッカーでも登場率が高い

北欧 Scandinavian Airlines System
1950年代のもの
北欧らしい青色が美しい

フランス UAT( Union aéromaritime des transports )1949-1963
1963年に合併し UTA ( Union de Transports Aériens )となり
1990年にAir France傘下となった後、吸収合併の末に消滅
旅行鞄型がキュートな1950年代のもの


そういえばルイ・ヴィトンのエキシビジョンでも旅行鞄型をした広告用のカードがあった。
今でも十分通用しそうな(むしろ欲しい)このカードが1885年のものという事実にも驚かされるが、 UATもLOUIS VUITTONもフランスの企業だという事も見逃せない。

Feb 10, 2017

New Items


バスク模様の平皿、今回はHippolyte Boulenger-Creil-Montereau(イポリット・ブーランジェ=クレイユ=モントロー)とBadonviller(バドンヴィレー)異なる2つの窯の平皿をachikochiz shopにアップしました。
同じバスク模様でもそれぞれの窯によって特徴や違いが見られるのも楽しみの一つです。

詳細はこちらからどうぞ。









Jan 23, 2017

Lewis W. Hine

昨年末、京都 三条にある古書店 Books & Thingsに代済みで取り置いていた写真集を引き取りに行った。必ず好きなものが見つかるこのお店を訪れるのはとても楽しみな事(欲しいものだらけで恐怖とも言える)なのだが、今回は少しだけ緊張も混じっていた。というのも取り置いてもらっていたのがルイス・ハイン(Lewis H. Hine 1874-1940)の作品だったからだ。

今回の作品集はオリジナルのネガを元に印刷されている12枚のポートフォリオであり、書籍の形式では無いだけに作品としっかり対峙出来るという嬉しいもの。
Books & Thingsのブログによると、これを発行した
George Eastman Museum(旧 George Eastman House)が管理しているハインの作品はネガで3,804点、プリントで6,056点にも及ぶそうで、約1万点という膨大な数字は、ハインが「社会派」や「社会改革的」な写真家と形容され、取材や調査、記録する為の手段として多くの写真を撮影していた事をまさに物語っている。それにしてもポートフォリオを収めているこのフォルダー、そっけないスタンプと数字、そしてこの台紙の色という取り合わせがとても恰好良い。

ニューヨークで教師となったハインは学校教育の一環で初めてカメラを手にし、当初はアメリカに押し寄せる移民たちをエリス島で撮影していたが、そのうちに児童福祉連盟などの依頼でスラムで暮らす移民や貧困層の暮らしを撮影するようになる。1908年に全米児童労働委員会(National Child Labor Committee)からの依頼で専属カメラマンとなり、低賃金で働かされる子どもたちとその過酷で悲惨な状況を世間に知らせる為に教師を辞してアメリカ中を旅しながら写真を撮る生活を選ぶ。しかしハインが被写体とする子どもたちの姿や劣悪な労働環境の撮影を炭坑や紡績工場などの経営者たちが快く思うはずもなく、身分や目的を偽って潜り込んだり、時には暴力や危険な目にもあったらしい。撮る方も命がけだったのだろう。
Young Messenger Boy on bicycle.c.1913.

Bowling Alley Pin Boys. 1 a.m. (1910)

このボウリング場で働く少年たちの写真には説明文があり、地下のボウリング場で毎晩働いている3人の少年たちは、ボスによって撮影現場から締め出されていた。といった内容になっている。撮影用にポーズをとっていないのでもしかすると隠し撮りのような手法で撮影されたものなのかもしれない。
ハインが撮影した数多くの働く子どもたちの写真は結果アメリカ社会に大きな衝撃を与え、児童労働禁止へと世論を動かすきっかけとなる。(過酷な労働をする子どもたちを捉えたハインの作品については、あすなろ書房から発刊されている『ちいさな労働者(KIDS AT WORK)ー写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち』に詳しく書かれています。)

全米児童労働委員会の専属カメラマンを約10年続けた後、ハインはアメリカの産業を支える男性や女性労働者のポジティブな姿をカメラに収めるようになり、1930年には当時世界一高い建物となるエンパイヤ・ステート・ビルの建設現場での撮影を始め、それらの作品は代表作「Men at Work」として刊行される。
Boiler Maker. n.d.

キャリア後半の作品はこういった大きな機械と人間との構図や地上数百メートルの高さの建設現場の梁でずらりと並んで休憩する労働者の姿など明るく力強いものが多く、技術革新と人間の能力に驚きと尊敬の念を抱きながら撮影している様子が伝わってくる。

ハイン作品に映る人々はまるで肖像画のようにこちらを見ているものが多く、特に子どもたちの真っ直ぐなその目は見るものに何かを問いかけているようで緊張を要する。
Undernourished boy in rural school in mountains of Kentucky receiving milk supplied by Red Cross. Also, Victim of Drought 1933.

Naval Reserve Training Station, Pelham Bay Park, New York. 1917.

なのでハインの作品を前にするといつも背筋がぐっと伸びる。悪い気はしないけれど。

Jan 9, 2017

¿Quién es él?

昨年末のこと、いつもの如くスルスルと吸い込まれ入店した古書店でこれを見つけてしまった。

フランスのワインメーカーNICOLASのカタログ、1953年のもの。
NICOLASのワインカタログは"A"のブログにもたびたび登場し、すっかり影響を受けて以来、運と縁に任せて集めている
今回は古書店に入るや否や鮮やかな色が視界の隅に入ったのでそちらに目をやると、サイズ感や綴じ方で遠目でもNICOLASのそれだと分かる。が、見つけたカタログは黒を背景に金色に輝く不思議な横顔が表紙を飾っている、一体これは誰だろう。

早速店主に中を見せてもらうと目の前に美しいイラストが現れ、謎の横顔についてはあっさりと解決する
剣と盾orサーブルらしきものが描かれた見開きに"DON QUICHOTTE"の文字。ということは表紙を飾っていたのは物語「ドン・キホーテ」の主人公、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャその人だった。
詳しく頁を見てみると
"ILLUSTRATION DE LÉON GISCHIA" 
 "ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と印字されている。
まずイラストを担当したLéon Gischia(レオン・ジシア)について調べてみるも、フランスの画家でレジェに師事し1937年のパリ万博で壁画を製作、舞台美術家でもあったというぐらいしか分からない。堪らずここで"A"にヘルプを要請してフランスでの情報を調べてもらう。以下"A"がサクサクと調べてくれた情報のまとめ

Léon Gischia(1903-1991)は芸術学と考古学を学び、超名門のルイ・ルグラン高校に入るほどの頭脳の持ち主で兵役(なんと航空部隊!)を経験した後、アメリカに滞在しヘミングウェイやカルダーと親交を持つ。その後フランスに戻り、レジェと近しくなり共にパリ万博でコルビュジェ設計のパビリオンのデコレーションを担当。Salon de Maiの創始メンバーで演劇界でも仕事を残した。画風は大きく3時代に分かれ、1917年から1942年までは風景・静物・肖像を多く描き、デッサンも多数。マティスやフォーヴ派の影響が見られる。1942年から46年まではレジェやピカソらキュビスムの影響が見られ、この頃には画風がかなり単純化されグラフィカルになる。1960年から亡くなるまではさらに抽象的な画風になり、矩形や円の構成になった。

航空部隊を志願出来る程の秀才であり、絵画の才能も持ち合わせていたジシアが不器用なドン・キホーテを描いたこのカタログは1953年に発刊されたもの。"A"の情報から推察すると、ジシアの画風がキュビズムから影響を受け更には抽象画へと変化を遂げる過程の作品という事になる。

では気になる頁を進めて参りましょう。
物語の冒頭、騎士道物語を読み耽るドン・キホーテ。マティスの切り絵を彷彿とさせる。

城主と思い込んだ宿屋の主人に叙任式をしてもらっているシーン。"VENTA"(La venta)はスペイン語で宿の意味らしい。

前編のハイライト、風車に向かうシーン。左頁の余白の使い方も良い。


ライオンの檻に向かうシーンは見開きで。


物語の最後、城に戻るシーンにはトボトボ感が溢れている。奥にはサンチョ・パンサらしき人物も。
右頁の1枚の葉は前の持ち主が栞代わりにでも使っていたのだろう、古いオブジェのように堂々とした佇まいでそこに在ったので勿論このままにしておくことにする。

それにしても今回のこのカタログは細部にまで細かくデザインが配されているのも素晴らしいところ。

見返し部分のデザインと裏表紙も見逃せない。




恐らくこういった全体の意匠を担当したのが"ORNEMENTS D'ALFRED LATOUR"と記されたAlfred Latour(1888-1964)ということなのだろう。Wikipediaで調べてみると確かに1934年からNICOLASとコラボレーションを開始したと記載されている。そこで気になるのが"ORNEMENT"という言葉、再び"A"に質問すると日本語の「オーナメント」でイメージする通り「装飾や飾り」という意味だそうで、レイアウトとアート・ディレクションを担当したグラフィックデザイナーの当時の呼称だろうとの事。恐らくまだデザイナーという単語が浸透していない時期のものであり、呼称の変遷まで知る事が出来て得した気分になる。

実は謎の横顔に気を取られて最初は気づかなかったのだが、表紙の下の方にはこんな一文が小さく印字されている。
SOUS LE SIGNE DU "CHEVALIER A LA TRISTE FIGURE"
『「哀しき表情の騎士」の看板の下に』とでも訳せば良いのだろうか・・・(自力翻訳につき自信は無い)。
いずれにせよ、初めて見た時と今ではその横顔は全く異なって見えるのです。

Jan 1, 2017

長樂萬年


明けましておめでとうございます。


本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


鯛持大黒天の土人形
鯛抱や鯛乗り、鯛担ぎなどなど鯛といえばえびすや童子のものが多い中、これは珍しく大黒天。

この1年も楽しくて佳きものを見つけていきたいと思います。

2017年 元旦


Dec 27, 2016

New Items

オニオングラタンスープ用のボウル
Mr. Peanut氏が登場するタンブラー
ベークライト製のダイス

3点をachikochiz shopにアップしました。
詳細はこちらからどうぞ。





Dec 12, 2016

CARTE POSTALE 2

アチコチズストアの開催からすっかり時が過ぎてしまい気がつけば師走。楽しかった思い出を噛みしめつつ、イベント時に購入したものをいくつか紹介したい。

主催者でありながら"A"がフランスから持ち帰ってくる品々はお客様同様に楽しみにしており、中でも@calotype_fr氏(アカウント名変更したそうです)のコレクションをまとめて見るにはフランスまで飛び立つ以外にはこの機会しかないので、昨年に引き続き今回も会期中こっそり眺めては熟考するを繰り返して最終的に2枚に絞り込む。

その1枚目がこちら。

5人の男女が野外で踊っているもので、そのシチュエーションはインパクト大。
以下"A"による解説
『これはフランスの中央山岳部オーヴェルニュ地方の伝統的な踊りの絵葉書。
https://www.youtube.com/watch?v=a0j9dTBJWWE
Wikipediaによると16世紀にヴァロワ家のマルゴがオーヴェルニュ地方を訪れた時に興味を持ってパリにもたらし、宮廷ダンスの原型となった。宮廷での舞踏会に始まり、舞台演劇、オペラ、クラシックバレエへと発展していく。宮廷の社交ダンスの原点。1913年の消印があるが撮影はもっと前のはずなので、1900年から1910年あたりの光景と思われる。
なんという衝撃の事実!映画「王妃マルゴ」の世界観とこの牧歌的な踊りを脳内で結びつけるのは至難の技だが、そもそも音楽に合わせて皆が一斉に踊るという経験が無かったならば、これはとても魅力的だったはず、まさにマルゴの知られざる偉業である。
他、シチュエーション以外にも着目したいのがそれぞれの服装。
まるで映画の1シーンのように十字架のオブジェ("A"曰くお墓ではなく村の道標のはず、との事)にもたれてバイオリンを弾いている男性と手前の男性が着ているスモック型の衣類はBiaude(ビオード)と呼ばれるもので、麻のインディゴ染めのものを野良着の上からかぶって祭りや教会の礼拝に行ったお出かけ着なのだそう。そういえば"A"のブログで紹介されていた素敵なBiaudeを唇を噛みつつ読んだ記憶が…。(前述した@calotype_fr氏のinstagramにもBiaudeのディテールが良く分かる画像あり。)男性の着るスモック型の民族衣装と言えばロシアのルバシカを始めいくつか思い浮かぶが、よくよく考えると貫頭衣に始まりトゥニカやブリオー等、男性の服飾史はスモック(チュニック)とは長い付き合いなのだと改めて思うちなみに女性陣はヨーロッパ諸国の伝統衣装で多く見られる帽子と前掛け、たっぷりギャザーをとったスカートという装い。足元は全員が木靴、フランスなのでSabot(サボ)ということになりますね。

2枚めはこちら。

VETEMENTS de TRAVAIL(作業服)と書かれた商店の看板の下で男性がポーズをとっているもの。
"A"の解説によるとパリか地方かの特定は出来ないが、撮影されたのは1905年から1913年頃のものらしい。細部を見てみると店主であろう男性が着用してしているシャツもディスプレイされているシャツもいずれも立ち襟というのがとても興味深い。と言うのも19世紀後半から襟型は立ち襟からウイングカラーに近い一部折り襟スタイルを経て、20世紀に入ると現代の襟型の原型となる折り襟が主流になる。その流れが地方や労働者階級に広がるまで少し時間がかかったのだとしても当時が立ち襟時代の末期であったのは確かなので、それを思うとなんだか感慨深い。また陳列されている他の商品にベレーやボーダーシャツが見られるのもいかにもフランスらしいところ。
この絵葉書は@calotype_fr氏が自身のコレクションをスキャンしフォトショップで傷んだ部分を半月ほどかけて全て修正したもので、限定100部。これのオリジナルは絵葉書ではなくフォトカード(carte photo)と言って、印刷ではなく、絵葉書の裏面がすでに印刷された印画紙に直接現像したものなのだそうだ。いつかオリジナルを見せてもらおうと心に決める。

そして最後にパリの地図。

これは"A"のブログに紹介されているのが元の地図で、それを"A"が紙の傷み具合までスキャンしレンズ歪み等々の修正を加え全く同じサイズで完成させたオリジナルに忠実な複製品、こちらも限定100部。(オリジナルも見せてもらったが、本当に良く出来た複製品で1944年から1947年頃のもの。"A"の仕事の細やかさには毎回感心しきりである。)ブログに書かれているように地図に載っている省庁の存在期間を調べる事でおおよその年代が分かる辺りが地図の楽しい所で、日本の古地図で馴染みの地名や橋の名前を見つけた時の喜びに似ている。更に嬉しいことにこの地図は主要な建物が立体的に描かれている種類のもので、妹尾河童さんの覗いたシリーズのファンとしては特に好きなタイプの地図だ。じっくり地図上を旅した結果、エッフェル塔とシテ島辺りの眺めが一番のお気に入り。



因みに"A"のブログでも記述があるように、この地図に使用されているGill Sansはとても好きな書体のひとつ。こうやって好きなものが自然と集まるのだなと妙に感心したのです。